『記憶のエチカ』。

記憶のエチカ―戦争・哲学・アウシュヴィッツ

記憶のエチカ―戦争・哲学・アウシュヴィッツ

 哲学者高橋哲哉が「記憶」をテーマに「戦争・哲学・アウシュヴィッツ」にかんして論じた一冊。

 何しろ哲学書だけに、それなりの専門用語も飛び交い、ぼくなどではどれほど理解できているか心もとないものがあるのだが、それでも興味深い一冊だった。

 本書は五章から成り、それぞれの章でハンナ・アーレントレヴィナス、京都学派などの哲学者の説が批判的に取り上げられている。

 なかでも印象深かったのが第二章「《闇の奥》の記憶」。ここで高橋はアーレントの著書から、「European mankind*1の危機」というテーマを取り上げ、アーレントが抱いていたアフリカに対するバイアスを洗い出していく。

 「European mankindの危機」とは何か。それは、「ギリシャのポリスで創建された政治(politics)の理念の決定的消失の危機」であると同時に「European mankindが「ヨーロッパ人種」と化すこと、まさにそのことの危機」でもある。

 どういうことだろうか。ここらへん、容易に要約を許さないものがあるのだが、わかりやすくまとめると、アーレントによれば、「民族(Volk)」と「人種(Rasse)」は全く異質な概念なのである。

 「民族」とは、本来「共生する人びとが構成する政治的組織のおかげで存在しているもの」であり、「政治」と結びついている。そして、そういった「民族」への帰属こそ「人間」であることの条件である。

 そして、「人種」とは「政治」という「人間の条件」を満たしていない存在である。したがって、ヨーロッパにおいて「政治」が終焉を迎えるとき、ヨーロッパの人びともまた「民族」から「人種」へと没落することになる。これがアーレントにおける「西洋の没落」である。

 そして、その「人種」の典型として表されるのが、「ヨーロッパの外部」である「暗黒大陸アフリカ」の人びとだ。

 アーレントはアフリカにおいて「民族」から「人種」への没落を遂げた人びととして、オランダ系アフリカ移民のブーア人を挙げる。

 彼女にいわせれば、ブーア人とは、本来、ヨーロッパの「民族」でありながら、短期間に野蛮な「人種」へと没落していったその悲劇的な一例なのである。

 そして、ブーア人たちが遭遇した「暗黒大陸アフリカ」の黒人たちは「記憶をもたず、それゆえに歴史をもたない人間」として定義される。

 一読、人種差別的としかいいようがない主張である。他ならぬユダヤ人思想家にして人種主義批判者ハンナ・アーレントによる明白な人種主義。

 高橋は、この主張に対置するかたちでネルソン・マンデラの言葉を引き、アーレントが認めなかった別の「人間的世界」の記憶がここにある、という。

 その落差のすさまじさにぼくはため息をつく。今後、アーレントを読むことがあれば、注意しながら読む必要がありそうだ。

*1:ヨーロッパ人、ヨーロッパ的人類、などの意。ゾーオン・ロゴン・エコン(ロゴスをもつ動物)の先端部分を担っている、という。