戦争反対のための戦争アニメはありえるか?


 いつも楽しく読ませていただいている「文芸ジャンキー・パラダイス」4月28日の日記より。『ガンダム』の話。

「戦争アニメのガンダムを誉めるのは、サイトの主旨と矛盾しているのでは?」と違和感を持たれる方もおられるかと思います。僕がガンダムにハマるのは、作中で戦争を美化することなく、戦いの虚しさを描いているからです。主人公を含め多くの人物が戦争をやめたがっているのに、戦火の渦に巻き込まれていく悲しみがそこにあるからです。

 ひとの価値観に文句を付けるつもりはないが、こういう意見には違和感がある。というのも、『ガンダム』は十分戦争を美化していると思うんだよね。

 だって、ガンダムかっこいいじゃないですか。ガンダムがザクをやっつけると、わくわくするじゃないですか。そういう興奮、カタルシスは、単純に反戦思想には回収し切れないもので、『ガンダム』の、あるいは戦争ロボットアニメ(及び小説や漫画)の魅力は一にそこにあるようにぼくには思える。

 たしかに『ガンダム』シリーズに共通する悲劇性は魅力的である。それは凡庸の格闘ロボットアニメと『ガンダム』を分かつ境界線であるといえなくもないだろう。

 しかし、だから『ガンダム』は戦争を美化していないかというと、やはりそんなことはないと感じる。

 ぼくは『ガンダム』を批判しているのではない。ぼくにいわせれば、上手に戦争を美化した作品は、ただ反戦思想を忠実になぞってみせるだけの作品よりよほど高度なものでありえるのである。

 戦争には、あるいは演出された戦争には、ひとを惹きつける暗い魅力がある。説得力ある反戦思想とはその事実の上に築かれるものではないだろうか?

 『ガンダム』だけではない。『銀河英雄伝説』にしろ、『ファイブスター物語』にしろ、ぼくには単に反戦的な作品とは思えない。それはたしかに戦争の悲惨さを直視してはいる。しかし、一方で戦争を本当にかっこ良く描いてもいるのだ。そこがすばらしい。

 こう書くと、戦争の魅力を認めろなんてとんでもない、という意見が出てくるかもしれない。しかし、ぼくは戦争を礼賛しているわけではない。むしろある種の暗い魅力に満ちているからこそ、戦争は危険なのだ、と考えることができる。

 ぼくも戦争はかっこいい、とはいわない。しかし、戦争はかっこよく演出されるものである、とはいう。ぼくが『ファイブスター物語』を好きなのは、ひとつには、そこらへんの描写が徹底しているからだ。

 FSSの世界では戦争は国民のためのエンターテインメントである。その状況はマスメディアを通じて逐一国民に伝えられ、卑怯な戦い方をする騎士は責められる。

 最高にして最も美しい戦闘兵器モーターヘッドを駆る騎士たちの花やかな戦い! むろん、その陰には悲惨な実態があるのだが、その部分は徹底的に隠蔽され、ひたすらにかっこよく演出される。そして、国民はそのたたかいに熱狂する。

 これは、ある意味でリアルな戦争描写だと思う。戦争とは、一面でこういうものではないか、と思うのだ。戦争はかっこよくはない。それは悲惨である。しかし、同時に、戦争はどこまでもかっこよく、痛快に演出されるものである、ということ。

 戦争はどんなスポーツよりひとを熱狂させる。その事実を踏まえた上で、初めて戦争反対の思想は成り立つと思うのである。

 「戦争反対のための戦争アニメ」はありえるだろうか? もちろん、ありえるだろう。しかし、それは必ずしも「戦争の悲惨な実相を克明に描いた」ものとは限らない。

 ぼくはそう思う。