「タバコと子育てをいっしょにするな!」は正しいか?


 赤木智弘さんのツンデレ記事がはてなで話題を呼んでいるようだ。題して「タバコが迷惑なら、子育てだって迷惑だ!」。タイトルだけだとまさにツンツンだが、最後まで読むとちゃんとデレている。

 しかし、デレるところまで読んでもなお反発するひとがたくさんいるようである。そういうわけで、少し考察しておこうかと思う。

 まず、この文章は、以下のような論旨で構成されていると思われる。

1.嫌煙家は個人の趣味に税金を使用することを否定する。

2.子育ても喫煙と同様、個人の趣味である。

3.よって、個人の趣味を税金でまかなうことを否定するならば、喫煙にも子育てにも税金が使用されるべきではないことになる。

4.しかし、子育てに税金を使用できないことは明らかに間違えている。

5.したがって、個人の趣味を税金でまかなうことは否定されるべきではない。

6.つまり、嫌煙家は間違えている。

 「1」から「5」までのどこかがおかしければ、「6」という結論は成り立たないわけだ。

 で、この論理のなかで、多くのひとが違和感を感じるのは「2」の部分だろう。「喫煙」と「子育て」という、あきらかに異なっているふたつのものを「個人の趣味」という言葉で同一カテゴリに押し込めることへの違和である。

 たしかに、この箇所には飛躍がある。しかし、ここはあきらかにわざと飛躍している。赤木さんだってバカではないから、「子育てと喫煙をいっしょにするな!」という反論を予期しているはずである。

 かれとしては、そこをあえて「いっしょなのだ」といいとおすことで、文章にインパクトを与えることを狙っているのだと思う。ま、釣りといえば釣りですね。

 しかし、そもそも、「喫煙」と「子育て」が異なっているとして、具体的にどこが違っているのだろうか。「子育て」の特徴として、ぼくが思いつくのは、以下のふたつだ。

1.人的資源の育成であって、公共の福利にかなう行為である。

2.仮に「個人の趣味」であるとしても、きわめて「メジャーな趣味」である。

 しかし、考えてみれば、タバコにも税金がかかっているわけで、その意味で公共の福利にかなっているといえなくもない。また、喫煙者が減ったとはいえ、タバコもまだまだ「メジャーな趣味」である。

 「子育て」に着目するかぎり、「喫煙」と「子育て」のあいだにそれほどの差異はないのだ。赤木さんもたぶんここまで考えて文章を書いていると思う。

 じっさい、ブクマコメントを見ると、ろくに考えずに「子育てと喫煙は違うに決まっているだろ!」と脊髄反射しているコメントが少なくない。思い切りひっかかっている。

 赤木さんがこの文章を通して本当に主張したいのは、「子育てとは本当にそれほど完全な正義なのか? 喫煙はそれほど完全な悪なのか?」ということなのではないだろうか。

 それでは、この論理に問題はないのか。いや、ある。「子育て」ではなく、「喫煙」の特徴に着目するべきなのだ。「喫煙」の特徴とは何か。いろいろ考えられるが、赤木さんが無視しているものは、以下のふたつではないだろうか。

1.喫煙者にとっても肉体的に害がある。

2.強力な依存性がある。

 ここで最初の論理展開の「1」、つまり「嫌煙家は個人の趣味に税金を使用することを否定する。」があらためて浮かび上がってくる。

 本当に嫌煙家はそのことを問題にしているのだろうか。むしろ、嫌煙家が問題にしたいのは「他人に迷惑がかかる可能性のある個人の趣味に税金を使用すること」一般ではなく、「喫煙という、他人に迷惑がかかる上、肉体的に害があり、強力な依存性をもつ趣味に対し税金を投入すること」ではないのだろうか。

 そうだとすれば、この論理は最初の階梯ですでにずれている、というか、ずらされていることになる。

 ぼくは、肉体的害があり、依存性があるから喫煙に税金を投入するべきではない、といいたいのではない。ただ、そういう喫煙のマイナスポイントを無視して話を進めることには問題がある、といっているのである。

 喫煙に対する税金の投入の正否を議論するなら、喫煙のマイナスポイントをひと通り踏まえた上で議論するべきだろう。最大のマイナスを無視して話を進めてもむなしい。

 たしかに最近の嫌煙家にはおかしなことをいうひとがいるけれど、だからといってそこにさらに極端な論理をぶつけることで相殺しようとするべきではない。

 思考実験としてはおもしろいけれどね。