『宮本亜門のバタアシ人生』。


 妙な本を読んだ。

 演出家宮本亜門と、よしもとばなな横尾忠則ら十一人の論客の対談集である。テーマはずばり、「見えない世界」。だから、それはもう胡散臭い話が頻出する。

亜門 そういえばよしもとさんは、幽体離脱の経験があるんですよね。
ばなな ええ二回ほどですが……。でも私、気が小さいので遠くに行けないんですよ(笑)。たとえばサッカーの中継の音が聞こえて、葉脈の中を水が流れているのが見えて、「あ、今うちの観葉植物の陰にいるんだ」って思ったり、こういうときアルゼンチンのことを思うとアルゼンチンに行っちゃうって聞いたことがあるから、「だめ、遠くのこと考えちゃだめ。身体に戻る戻る」って考えてたら戻ったり。

村上 (前略)自分の体だ、自分のお金だというけど、本当は自分だけのものじゃないんでね。大きな大きな宇宙から見て、元素はまさに回ってるし、命も回っているもわからない。大きな命があって、僕たちは小さな命で、地球上に一定期間とどまってまた帰るとか……。それに物質から命が生まれたという証拠は何もないわけですから、最初に大きな命があったかもしれない。それはまだ証明できないけれど、とにかく物質レベルでは輪廻転生。宇宙から来て宇宙に帰る……。そうするとくだらないことでくよくよしたり、あいつがどうのと人を憎んだりしてももったいない。みんな宇宙に帰るんだから、宇宙の子供なんだから。

元気 量子論の〝エネルギーと物質は同じ〟というのに関係するのですが、〝思考、言葉、行為〟が人間を形成する三大要素で、人は考えること、話すこと、行動することでしか自分を定義できないんです。つまり「こうありたい」っていう自分を想像して喋ったりしていたら、絶対そういうふうになる。だから「ありがとう」とかポジティヴな言葉をつねに出していたら、その無私の高みにある精神が具現化する。平たくいうと、プラスのエネルギーが自分にはね返ってくるんです。

 何だかなあ、と思いませんか? ぼくは思います。ぼくのような生まれつき素直で信じやすい心のもち主ですらそう思うのだから、懐疑主義者はさらに胡散臭く思うことだろう。

 しかし、同時に、ここで語られているものはオカルトでもなければ疑似科学でもないことも事実だ。

 たしかに、一歩間違えばそうしたものへ転落していく危うさを感じさせはするが、ギリギリのところで踏みとどまっている、という印象。いったいこれは何なのか?

 結論からいうと、これがいま流行りの「スピリチュアリティ」である。そういうわけで、落語の次のぼくの興味対象はスピリチュアル。あした、続きを書くよ。