メールにお返事。

はじめてメール送ります、はじめまして。

海燕さんとは良い具合に趣味が合いすぎないため、Something Orangeでは新たな発見が多く、いつも楽しみにしてます。

早速なんですが、「10分でわかる『グイン・サーガ』」読みました。

グイン・サーガは以前からずっと気になっていて、ミーハー的過ぎないかとは思いつつも、アニメ化を知ったのをきっかけに読み始め、現在ちょうど3巻の終わりまで行ったところです。

どれだけ面白い作品であれ、10巻程度ならまだしも、50巻、100巻と続く話だと、ある程度覚悟を持って(身構えて)読んでしまいそうなものですが、ただ、70巻までがプロローグという、軽々と自分の想像を超える壮大な物語の渦を直感的に感じさせられ、全身に鳥肌が立つのを感じました。

トップをねらえ!』でウラシマ効果を通して「時」の壮大さを感じたときの感覚とでも言いましょうか。

『グイン』の場合は「時」ではなく「運命」ですが。

記事を読んでいる途中、「ネタバレしやがってコンチクショー!」と思ったのが一瞬で、すぐ下の行を読んで、ネタバレを歯牙にもかけない「グイン」の作品パワーが伝わってきました。

とにかく今は身体の中から続きを読む気力が凄い勢いで湧いてきています。

こんな気持ちにさせてくれてありがとう!

と、無性に言いたくなったのでメールしてみました。

 お読みいただきありがとうございます。

 ま、「70巻までがプロローグ」とは、さすがにいいすぎですが、その辺りから話が本筋に入ることは本当です。

 その巻で初めてグインはケイロニアの豹頭王として即位し、そこからグイン、レムス、イシュトヴァーンが並び立つ「三国時代」が始まることになります。

 そこにいたるまでも有為転変はてしないのですが、そこから先もいろいろな意味で大変なことになっています。しかし、それははるかな未来の話、あまり語らずにおいたほうがいいでしょう。

 『グイン・サーガ』という小説が作品の構造上、多少のネタバレでは揺らがないことは事実ですが、だれが何巻で死ぬといったことはやはり知らずにおいたほうがいいと思います。先の巻のあらすじは読まないようご注意ください。

 それにしても、第3巻、まだ序盤も序盤ですね。しかし、全編にとって重要な出来事はすでにいくつか起こっているはずです。

 たとえば、第1巻でグインを助けて死んだ「トーラスのオロ」という人物は、その後の物語に重要な影響を与えます。

 王でもなく、貴族でもなく、英雄でもなく、単なる名もない一兵士に過ぎないのですが、だからこそただ運命に流されるだけの凡人たちの代表として浮かび上がってくる。

 グインがオロから受け取った伝言が、かれの家族に伝えられるまで、長い長い時間がかかるのですが、やがて「その時」はやって来ます。『グイン・サーガ』中、一、二を争う感動の名場面、どうぞご期待ください。

 『グイン・サーガ』がたとえば『銀河英雄伝説』や『デルフィニア戦記』と決定的に違うのは、この「庶民の視点」があるという一点にある、といってもいいかもしれません。

 『銀英伝』は星空をかけめぐる英雄たちに焦点を絞って名作となったわけですが、『グイン』はもっと幅広い人物に光をあてていきます。

 神のごとき王侯から地を這う虫けらのような庶民まで、ありとあらゆる階層の人びとにスポットライトがあたる。

 ヒロイック・ファンタジィのみならず、時代小説、歴史小説まで視野に入れても、こういうスタイルの作品はめずらしいんじゃないかな。司馬遼太郎山本周五郎を同時進行でやっているようなものですからね。

 そして、それらの描写を通して、自然と、「ひとが正しく生きるとはどういうことか」というテーマがあらわれて来ます。そういう意味でトーラスで生きるオロの家族たち、ゴダロ一家は、物語のもう一方の主役とすらいえる存在です。

 かれらは、運命の暴虐に対して何の力もなく、ただ翻弄されることしかできません。しかし、それでもなお、どこまでも誠実に、堅実に、生真面目に生きるその姿は、ある意味でグインやイシュトヴァーン以上に立派に見えてくるのです。

 それは、イシュトヴァーンやアルド・ナリスが衆に秀でた麗質を備えながら、そのために苦しみ悩むこととあまりにも対照的だといってもいいでしょう。

 かれらが代表しているものは、「過酷な運命を受け入れ、その恵みに感謝すること」の賛歌なのかもしれません。

 『グイン』について語り始めると際限がありません。これくらいでやめておくことにしましょう。またいずれ、形を変えて語りなおすこともあると思います。

 では。