ブロガーが死んでもだれも気に留めない。

 だから、ブログをよく使う身だからこそ、俺は(働き先や友人からの)批判やケチに対して人よりセンシティブでありたいと思う。自分の欠点ってどうしても自分じゃ気づかないし、何より「お前間違ってるよ」って言われる機会が、高校を卒業するまでに比べてぐーっと減った。

 アウトプットしたいことをアウトプットして、尚且つ批判が飛んでこない。そういった居心地の良い場所に安住してたら、人間の三大欲求の次に強いと言われる「自己を重要なものと思われたい欲求」は満たされるだろうけど、独りよがりは加速されていってしまうだけだ。

 重要なのは、「傷つかないように批判から遠い場所に居続けること・気にしないようにしていくこと」ではなく、「批判から教訓を学び取ったら教訓以外はさっさと忘れて、必要以上に凹んだりしないこと」ではないかな。「お前の言うことはクソだ」と「お前はクソだ」を混合してしまわないようにしたい。

 どういう訳か、「人の足りない部分」ってたくさん指摘されるけど、「その人の持ってるもの・良いところ」って口に出されることは滅多に無いよね。何でだろうかなあ。もっと褒めりゃいいのに、みんな。

 だから、上に立ちたがる人ってどんどん減ってくんだろうなあ。頑張った部分を評価されることのないまま、及ばなかった部分だけ集中砲火を受けるから、人のために頑張ることがばかばかしいと思う人がどんどん増えていってしまうんだと思う。

 だからこそ自分は、ビジョンだけを見据えて批判の集中砲火の中を正面切って進むことを恐れずにいたい。

 批判。批判ねえ。むずかしいところですよね。

 たしかに的確な批判を受け入れて反省することは大切だけれど、でも名無しだの通りすがりだのの意見を気にしていても仕方ないしね。

 あのね、よく「匿名の発言であっても、その内容で判断するべき」みたいなこというじゃないですか。でも、現実に名無しのコメントってなかなかいいものがないんですよね。

 ま、皆無とはいわないけれど、そう多くないことはたしか。それがぼくがコメント欄を閉じてしまったことの一因ですね。

 もちろん、玉石混交の意見のなかから自分に役立つものを選んで受け止めることが大事なんだ、という意見もあるでしょう。正論だと思います。

 でも、一方的に身勝手な意見を突きつけられると、それはね、ぼくも人間ですから、やっぱりうんざりしますよね。もっとも、何が一方的で、何が身勝手かということは面倒な問題なんだけれど。

 勘違いしてほしくないのですが、批判するな、といっているわけではありません。ただ、批判する自由もあるなら、批判を無視する自由もあるということ。すべての批判を一様に真に受ける必要は全くないと思います。

 上記の記事に書いてあるように、批判を無視することは独善に陥る危険と裏腹かもしれません。しかし、その一方で、ひとの意見ばかり聞いていると、自分のスタンスが不明瞭になってしまうんですよね。

 そもそも、一口に批判といっても色々な角度からの意見があるわけだから、そのすべてを受けいれようとするとどこかで破綻してしまう。

 それに、自分では正しいと思っているからこそその記事を書いたのだから、批判を受けたからといって急に意見をひるがえすこともおかしな話だしなあ。謙虚と信念のバランスが大切ということでしょうか。

 単にひとから非難されないようなことを書くことは実は簡単なんですよね。ただひたすら角が立たないように、世間の常識に反しないように、文章を組み立てていけばいい。

 だけど、そういう記事っておもしろくないことが多いですよね。ぼくはおもしろくないと思う。いや、ぼくも日常生活ではそうとんがったことをいうわけじゃありません。むしろ、このあいだ母から「お前はひとのいうことを否定しないよね」といわれたくらい。

 指摘されて初めて気づいたけれど、それはそうかもしれない。ぼくはひとと話していると、「うん」とか「そうだね」とか、肯定の言葉ばかり口にする。ラジオとか聴いてもらうとわかることですけど、とにかくうなずいてばかりですね。

 それがブログだと何でこうなるかというと――何でだろうなあ(笑)。ま、何というか、あんまり常識的なことばかりいうのって恥ずかしいじゃないですか。単なる良識的なだけの意見ならぼくが書かなくてもだれかが書くだろう、ということもありますし。

 そうかといって、非常識なことばかり書いていると非難轟々なので、そこらへんはバランスですね。ま、どういうことを書くとどういう反響が返ってくるかということはだいたい予想ができるんですよ。だから、疲れているときは挑発的な記事は書かない。

 もっとも、ぼくは自分自身とブログを切り離して考えるタイプです。もちろん、「Something Orange」には多分に自分の意見が投影されているんだけれど、韜晦しているところもあるし、意図的に挑発しているところもある、ぼくの人格がストレートに反映しているとはとてもいえない。

 自分が抱えている問題を赤裸々にブログに書くことをよしとするひともいますけれど、ぼくはそうじゃないですね。そもそも、「Something Orange」を読みに来るひとは、ぼく自身に好意なり興味を抱いているわけじゃないでしょうから。

 ぼくが悩もうが、苦しもうが、自殺しようが、どうでもいいでしょ? いや、自殺したらその時は同情してくれるかもしれないけれど、一週間も経てば忘れるでしょう。ブロガーが死んでもだれも気に留めない。それでいいと思う。

 別に読者と情緒的な関係をもちたいわけではないわけで、それ以上のことは望みません。もし、あいつが死んだことじたいはどうでもいいけれど、あいつが書いた記事が読めないのはざんねんだな、と思ってもらえたら最高ですね。

 ぼくより人望があるひとなら話は違うかもしれないけれど、というか違うだろうけれど、べつだん、そういうひとがうらやましいとは思わない。

 死してしかばね拾う者なし。しかし、ブログはのこる。記事はのこる。とりあえず、はてなのサービスが続くかぎりワールドワイドウェブをただよいつづける。そうして、一○○年後のだれかがぼくの記事を読むこともあるかもしれない。それでいいじゃん。ねえ。

 話がずれました。ネットに何か書く以上、批判があっても当然だと思います。一々批判を受けるたびに落ち込んでいてもしかたないし、そうかといってすべて無視するのも考え物ですよね。

 自分の記事が自分そのものではないことをわきまえた上で、適当な距離感を保っていられたらいいな、と。そうはいっても、なかなかむずかしいんだけどね。