天才の弟子。

赤めだか

赤めだか

 最近、落語をたしなんでいる。

 もちろん自分で話すわけではなく、聴く一方だが、そしてぼくの場合、聴くといってもたかが知れているのだが、まあ、CDとかですね、それからニコニコ動画とか、そういうもので聴くわけです。いいですねえ。

 当然、うまいひとばかりではなく、おもしろいものばかりではないのだろうが、目立つ噺家ばかり選んで聴くからそれはそれは楽しい。小説を読む気がなくなってしまうくらいで、それでこの頃、このブログには書評記事がない。

 さて、そういうわけで、『赤めだか』。立川流家元立川談志の弟子、落語家立川談春が、その青春時代を赤裸々に綴った一冊である。

 昨年辺りから各所で話題になっているし、賞も取ったので、既読の方もおられるだろう。名著である。だれがどう見ても名著である。ちょっと最近のエッセイでこれくらいおもしろい本はないよ。だから、読みましょう。読みなさい。いい本です。

 以下、蛇足。それでは、立川談春とは何者なのか。将来の名人とあだ名される、気鋭の若手落語家である。たとえばご存知春風亭小朝は、談春をこう語っている。

小朝 立川流はね、もうご承知のとおりいいお弟子さんがいっぱいらっしゃっていますから、で、独自の活動もしてますしね。
 あえて僕が言わなくても、皆さんの方がよくご存知だと思いますけども、ただ一言だけ言わせていただくと、いやね、立川談春さん、すばらしいですよ。もうとにかく、「今、若手でだれを一番に押す?」というふうに聞かれたらね、僕は躊躇せずに談春と言いますね。いい噺家だと思いますよ。人間的にも何か熱い血の流れている、とてもすてきな人だし、「立川流談春あり」という感じがしますね。

『いま、胎動する落語』

いま、胎動する落語―苦悩する落語〈2〉 (苦悩する落語 (2))

いま、胎動する落語―苦悩する落語〈2〉 (苦悩する落語 (2))

 絶賛である。

 三十六人抜きで真打になったあの天才小朝をしてこの評価、談春、並の噺家ではない。「立川流談春あり」。そこまでいわれる男なのである。

 しかし、百の批評を載せるより、一の落語を聴いてもらった方が早いだろう。そこで、反則かもしれないが、違法かもしれないが、動画を貼っておく。

 「紺屋高尾」。時は江戸、紺屋の貧乏職人が吉原のおいらんに惚れこみ、やがてみごと彼女を妻に迎えるまでを描いた人情噺。いや、うまいねえ。半端じゃないね。

 ちなみに同じ噺を師匠談志がやっている動画がやはりニコニコに上がっているので、この噺を気にいったら探してみてください。すぐに見つかります。

 って、外部視聴許可されていないのかよ! すいません、ニコニコで見てください。

 さて、その「将来の名人」も、さいしょから上手だったわけじゃない。当然、初めは未熟だった。

 この『赤めだか』では、その未熟な談春少年が談志に惚れこみ、弟子入りを果たし、やがて真打に昇進するまでがユーモラスな筆致で書かれている。

 特殊な世界の特殊な物語ではあるが、ある種の普遍性があり、落語を知らないひとでもおもしろく読めると思う。いや、じっさい、最近読んだ本ではいちばん良かった。読みましょう、読みましょう。

 以下、蛇足の蛇足。たしかに落語を知らないひとでも読めるのだが、いくらか頭にいれておいたほうがいいこともある。たとえば、落語界の人間関係、特に立川談志のことである。

 落語に興味がないひとでも、名前くらいは聞いたことがあるだろう。当代を代表する天才落語家、ひとはかれを超人と呼び、カリスマと呼ぶ。何だかんだとカリスマが量産される時代ではあるが、談志は本物、それこそ『赤めだか』を読めばよくわかる。

 爆笑問題太田光は談志にあこがれ、いくつか番組をともにしたりしている。テレビのドキュメント番組で見ると、あの不遜な男が談志の前ではぺこぺこしているのがおかしい。

 それほどのひとだ。それほどのひとなのだが、ネットで見ると悪口も見かける。なぜか。問題はその性格にある。神経質で気むずかしく、絵に描いたような傲岸不遜、その行動はやりたい放題、口の悪さは日本一、問題視されること数知れず。

 ご記憶の方も多いだろう、何年か前、談志が客席で居眠りしていた客を追い出し、それが裁判沙汰になるという事件があった。

 この事件にかんしても、良識的なひとは批判するのだが、ぼくにいわせれば、ひともあろうに談志の高座で居眠りする了見が間違えている。談志はそういうことを絶対に許さないひとなのである。

 こういうひとが落語協会なんて組織におとなしく収まっているはずがないわけで、談志はあるとき協会を飛び出し、立川流を生み出している。談春はこの立川流に単身飛び込むわけである。

 その談志の師匠にあたるのが、人間国宝柳家小さん。落語家として初めて人間国宝に選ばれたという大変なひとである。談志とは対照的に心やさしく円満な性格だったとか。そして、あろうことか、談志が協会を飛び出したときの会長はこの小さんだった。

 談志と小さんは喧嘩わかれしたかたちになるわけだが、『赤めだか』のクライマックスで、談春は何とこの小さんを自身の落語会に呼ぶことを考える。どうです、おもしろそうでしょう。

 ちなみにこの小さんの孫が柳家花緑で、落語界のプリンス、サラブレッドというべき存在である。談春とは仲がいいらしく、談春と小さんと結びつける役を果たすことになる。この花緑というひともなかなかおもしろい人物なのだが――それはまた、別の話。

 とにかくその談志と談春の師弟の絆、愛情がこの本の骨子にある。小さんから談志へ、談志から談春へ、芸は受け継がれ、絆はつながっていく。

 天才の弟子の物語、ご一読をお奨めするしだいである。