10分でわかる『グイン・サーガ』。

豹頭の仮面―グイン・サーガ(1) (ハヤカワ文庫JA)

豹頭の仮面―グイン・サーガ(1) (ハヤカワ文庫JA)

 無理。

 と、書きはじめる前からあきらめてしまいそうなめちゃくちゃな企画ですが、一応、チャレンジしてみようと思います。

 「10分でわかる『グイン・サーガ』」。作家栗本薫の代表作、ライフワークにして、個人で執筆されたものとして世界一長いといわれる大長編小説『グイン・サーガ』、そのめくるめく世界をわかりやすく解説してみようという記事です。

 以前、「10分でわかる『銀英伝』」という、これもかなり無理がある記事を書いたことがあるのですが、『銀英伝』は正編10巻、外伝4巻で完結しているのに対し、『グイン』の分量はその10倍以上、しかもなお続刊しています。とても十行二十行でまとめられるような代物ではない。

 だから、いったいこの小説の何がひとを惹きつけるのか、そして賛否両論を生み出すのか、その点に要点を絞ってなるべく率直に語りたおしてみるつもりです。単に概要を知りたいだけならウィキペディアでも読めばいいわけですからね。

 それでは、行きましょうか、はるかなる冒険の地、ひとの生と欲望がよりはげしく、よりあざやかで、よりロマンティックな世界――中原へ。

■全体の概要■

 『グイン・サーガ』をひと言で表すことはむずかしい。それはそうでしょう。正編だけで百冊を超える超大作、そう簡単に解説できるものではない。

 それでも、あえてひと言で表すならば、ぼくは「運命の教科書」と呼びたいと思います。この小説にはありとあらゆる人物が出てくる。

 「10分でわかる『銀英伝』」を書いたときに、「英雄、天才、勇者、名将、美女、愚者、皇帝、商人、貴族、政治家、宗教家、卑劣漢、売国奴など、魅力的な人物にはことかかない」と書いたけれど、それでも『銀英伝』の場合は軍人にかたよっている。人種の豊富さという一点でいえば、『グイン』の方が上でしょう。

 そういった多種多様な人びとが、それぞれの運命に翻弄され、それでも懸命に生きていく姿を描いた一大大河小説、それが『グイン・サーガ』です。

 物語は中原の端、魑魅魍魎うごめくルードの森に、豹頭長身の超戦士グインが忽然と「出現」するところから始まります。グインはなぜか自分の名前以外のすべての記憶を失い、そこにたおれていたのです。

 そして偶然、その場にあらわれたのが中原の大国パロの王子レムスと王女リンダ。どうして王子様やら王女様がそんなところをうろうろしているかといえば、新興国家モンゴールの奇襲を受けて祖国が亡んでしまったからなんですね。

 グインは行きがかり上、いまやパロの唯一の希望となったこの〈ふた粒の真珠〉を守って強大なモンゴールの軍勢とたたかうことになります。

 その途中、〈災いを呼ぶ男〉を自称する若き傭兵のイシュトヴァーンと知り合い、四人ではるかなパロへの帰還の旅に出るのですが、モンゴールの軍勢はその数数万、いかにグインが超戦士といえど、はたして勝ち目はあるものなのか、というところからこの長大な物語は幕をあけます。

「悪魔っ子――ほんとに、どうしてそう呼ばれてるか、イヤというほどわかるよ。ほんとにほんとに十六なの?」
「魂は、百歳にはなってらあ」

■構成上の工夫■

 そういうわけで、グインたち一行はパロの王都クリスタルへ向けた長い長い帰還の旅に出ることになるのですが、この旅が一応は成功し、レムスがパロ国王の地位に就くのが第16巻『パロへの帰還』。今年アニメ化されるのはここまでの話だそうです。

 そこから先は、その時点では一介の旅人に過ぎないグインやイシュトヴァーンがいかにして王位を得るか、という物語が繰りひろげられることになります。

 そう、話が進むとグインもイシュトヴァーンも大国の国王になっちゃうんですね。そして、物語が始まった時点では共に協力してモンゴールとたたかっていたグイン、レムス、イシュトヴァーンの三人は、それぞれケイロニア、ゴーラ、パロの三国を率いて覇を競うことになります。

 イシュトヴァーンが戴冠するのが第64巻『ゴーラの僭王』、グインが即位するのが第70巻『豹頭王の誕生』、おそろしいことにここからがようやく「本編」です。

ゴーラの僭王―グイン・サーガ(64) (ハヤカワ文庫JA)

ゴーラの僭王―グイン・サーガ(64) (ハヤカワ文庫JA)

豹頭王の誕生―グイン・サーガ(70) (ハヤカワ文庫JA)

豹頭王の誕生―グイン・サーガ(70) (ハヤカワ文庫JA)

 あやしい亡霊に操られるレムスと、中原統一の野望に燃えるイシュトヴァーン、そしていまや中原一の大国の国王にまで成り上がったグインの、血で血を洗うたたかいの物語が綴られます。

 もちろん、そのあいだにそれはもういろいろな事件が起こるのですが、ひとつひとつ語っていると際限がないので、ふれずにおくことにしましょう。

 それにしても、こんなふうに先の展開まで語ってしまっていいのか? じっさいに読んだときに物語がつまらなくなるんじゃないか? いいんです。なぜなら、ここでぼくが語っていることは、物語の冒頭の時点ですでに予告されていることばかりだからです。

 この小説の構成上最大の工夫は「未来の出来事を平気で語ってしまう」という一点にあります。

 第3巻の冒頭に「カオスの時代」という一章がありまして、ここにグインが国王になること、イシュトヴァーンがその宿敵になること、レムスがパロ中興の祖と呼ばれること、などが書かれているんですね。そしてじっさい、物語はその通りに進んでいくことになります。

 また、外伝第1巻『七人の魔道師』では、グインが国王になってしばらくしてからの事件が描かれています。だから少々ネタバレしても問題はないのです。

「この森をぬけてゆきなさい。おまえはいま、暗い森の中にいる。この森をぬけてはじめておまえの生がはじまる。ためらわず、勇気をもって信じるままに行くがいい。そして、闇に出会ってはおのれを光とし、光にあっては光に従いなさい。ヴァレリウス――お前は時を見はるかす《ファイラスの魔神》たれ。そのとき、お前はすべてを見出すだろう――人望も、愛も、故国も、富も。もしそうでなく大局を忘れ、私心につくならば、おまえは自ら造った闇にいずれ、おまえ自身ものまれるだろう」

■登場人物■

 おもしろいのは、そうした未来の出来事が、いったいどうしてそうなるのか、その時点では想像もつかないということです。

 第1巻で物語に登場した時点のイシュトヴァーンは、ただの陽気な若者です。たしかにいつか王になるという壮大な野心は抱いていますが、それは野望というよりも夢、夢というよりも法螺に近いものだといえるでしょう。

 しかし、それでも物語には、そのイシュトヴァーンが、「やがて狂王、殺人王と呼ばれる暴君となる」と書かれている。読者は「いったいどうしてこのあかるい青年が暴君になるのだろう?」と否応なく興味を誘われます。

 この構成はおそらく三浦健太郎の『ベルセルク』に影響を与えている気がします。『ベルセルク』の、初めに未来の出来事を置き、それから過去にさかのぼってそこにいたる経緯を描いていく構成、あれは『グイン』からもらったものだと思うのです。

 さて、そういうわけで、『グイン・サーガ』とは、このグイン、レムス、イシュトヴァーンらの物語といっていいのですが、そのほかにも数千人に及ぶ「脇役」が登場します。

 並の小説では何十人も人物が出てくるとだれがだれだかわからなくなってしまうのですが、その百倍もの数の人物を出して混乱させない技術は、やはり異数のものといっていいでしょう。

 そのなかでも、最大の「脇役」をひとり選べ、といわれたら、だれがどう選んでもパロの宰相アルド・ナリスになると思います。

 「この世で最も美しい」といわれる美貌と天才的な頭脳、ひと言ではいいあらわせられない倒錯した人格を併せ持つこの若者は、作者鍾愛の人物としても知られています。このナリスの反逆の物語は、物語中盤で延々と語られることになります。

「好きにしろ」
 イシュトヴァーンは云った。その黒い目が、あやしい傲慢なまでの誇りを浮かべて激しく輝いた。彼は傲然とヴァレリウスを見つめ返した。
「俺は、永遠に一人だ。生まれてきたときも、当然、死ぬときもな。俺は永遠に一人だ」

■SF設定■

 アルド・ナリス――その名前は、ぼくにとっても特別なものです。いままで何千冊かの小説を読んできましたが、ナリスほど個性的な人物はそうはいなかった。

 とにかく、性格が複雑。異常なまでに複雑。パロの王子として生まれ、やがてその国の宰相にまでなり上がり、だれよりも恵まれているように見えながら、だれよりも不幸な男。

 この人物にかんしてはとても言葉で説明する自信がないので、外伝『十六歳の肖像』と『星の船、風の翼』を読んでください。

 10分でわかるんじゃなかったなかったのか!といわれそうですが、無理だよ、知らないひとにナリスの性格を説明するなんて。かれを知っているひとならだれもがそういうはず。

 そのナリスさまが深い興味を寄せるものに、パロの地下ふかくねむる古代機械があります。古代機械。いにしえから伝えられているため、そう呼ばれているのですが、だれが造ったのか、なぜそこにあるのか、だれも知りません。

 空間を隔てて物質を移動させる力をもち、どうやら自分の意思さえもっているらしいふしぎな機械。この古代機械のなぞは、グインの豹頭の秘密と並んで、『グイン・サーガ』最大のなぞといっていいと思います。

 この奇妙な装置によって、『グイン・サーガ』は戦乱絵巻であると同時にSFでもあるという欲張りな作品になっているのですが、はっきりいってSFとしての『グイン・サーガ』はそうたいしたものじゃありません。

 センスが古くさいし、独創性もない。ただ、この古代機械は単なる機械というよりは、「この世ならぬ場所」「どこか彼岸の世界」へのあこがれの象徴なのです。

 ナリスがこの機械に惹かれるのは、自分はこの世界と相容れない、どこかほかの場所にいるべき人間だ、という想いがあるからです。

 だれが知ることでしょう。中原のアイドル、この世で最も恵まれた男、アルド・ナリスがそんな自己不遇感を抱えているとは。しかし、この「自分はこの世界にいるべきではない」という切ない想いは、作家栗本薫最大のテーマのひとつです。

「リンダ」
 彼はささやいた。
「三年――そうだ、三年待てるか、おまえは」
「え……?」
「三年だ。三年、たったら、おまえは十八――おれは二十三になる。それまでに、おれは、ひと旗あげてやるんだ。あと三年じゃ王まではムリかもしれねえが、とにかく家も国も部下の兵もねえ、ただの傭兵のヴァラキアのイシュトヴァーンじゃねえ、どこかの国の、隊長か、うまくすりゃ貴族になって、戻ってくる。それまでにゃ、おまえはパロにおさまってるだろうし……もしかしたら、それまで、モンゴールとパロのいくさは、つづいてるかもしれねえ。これから、たくさんの国、中原のも、沿海州のも、草原も、そのモンゴールとパロのいくさにまきこまれるはずだ。各国が、腕の立つやつを欲しがる。手柄をたて、認められ、偉くなるにゃ、もってこいの時代がくるんだ」

■テーマ性■

 そう――この『グイン・サーガ』という小説は、単なるおもしろい戦記物語ではありません。それならほかにもいくらでも名作はある。『アルスラーン戦記』とか『デルフィニア戦記』とか。

 この作品がぼくを惹きつけてやまないのは、決してただ単によくできたエンターテインメント小説であるからではなく、アルド・ナリスや、イシュトヴァーン、リンダ、レムス、ヴァレリウス、オクタヴィアら、「世界の孤児」たちが抱えたその孤独が胸に迫ってくるからです。

 「運命の教科書」と上記しました。この作品のテーマをひと言で表すなら「運命」という言葉が最もふさわしいでしょう。

 この作品には、幸福な人物はほとんど出てきません。ほとんどの人物がかれなりの悲哀と孤独を抱え、運命に対する憤懣を抱えて生きているのです。

 たとえばイシュトヴァーンはヴァラキアという港町に孤児として生まれ、賭け事と売春で生きのびてきました。たよりになるものといえば、生まれたときもっていたという玉石と、「いつかこの子は王になる」というあてにもならぬ予言の言葉、そしてわが身の才知のみ。

 かれは思わずにはいられません。いったいなぜ自分はこんな目に遭わなければならないのか、あたたかい家でぬくぬくと育つ貴族の子供とこの自分、どこがどう違っているというのか、と。

 そしてその運命への反逆心が、かれを不敵な傭兵から赤い街道の盗賊、そして血まみれの狂王へと変えて行くのです。

 『グイン・サーガ』では、イシュトヴァーン以外の人物も、多かれ少なかれこの種の「運命への疑問」「世界への敵愾心」を抱えています。

 これはぼくたちにも無縁のものではないと思います。何か不条理な現実に直面したとき、ぼくたちは思うはずです。なぜ自分だけがこんな目に、と。

 そういった想いを抱えた人間たちが、いかにして世界との和解を果たすのか、それがこの小説の読みどころだといえると思います。

「わが国王陛下」
 あやしいどこか不吉なひびきをはらんだ声でヴァレリウスは云った。
「陛下のご治世が永遠ならんことを」

■文章■

 そういうわけで、多くのひとを惹きつけてやまない『グイン・サーガ』なのですが、賛否両論を抱えた小説でもあります。

 ネットでたくさん見かけるのが、昔はおもしろかったけれども、いまはすっかりつまらなくなってしまった、という意見。読者はみんな惰性で読んでいるだけだ、というひともいますね。ぼくはそうは思わないのだけれど、そういうふうに考えるひとはたくさんいるようです。

 たしかに、初期と比べると、『グイン・サーガ』は変わりました。文章にしても、一時の流麗さはうしなわれたし、饒舌が過ぎて冗長になっていることは認めざるを得ない。

 一時の栗本薫の文章はそれはそれはうつくしかったですからね。とくに飾り立てた美文というわけでもないのだけれど、ひたすらに流麗で、すらすらと読めた。

 ためしに陰謀家アリストートスが、無垢なリーロ少年を殺害しておいて白を切る場面から引用してみましょう。

 天が裂け、地がまっぷたつに割れてかれのみにくいからだを飲み込むことも起こりはしなかった。
 また、うらみをのんだ小さな亡霊があらわれて、血だらけの指で誰かを指差してみせるようなことも。
 さんさんと陽光は床にふりそそぎ、アリの青ざめた醜い顔を照らしていたが――神々の怒りのいかづちがとどろいて世界を闇にとざすこともなく、また空にあらわれた炎の指が宿命の神宣を告げる文字を昏い空に描いてみせることもなかった。
 ただ、人々がしんとなって、この情景を見つめていただけのことであった。

 単に「何も起きなかった」という一事を書くのに、これほどの言葉を並べるのはこの作家だけなのではないでしょうか。なかなか、いまの栗本作品からはこれほどの言霊は感じられない。

 『グイン・サーガ』をひとつの作品として見るなら、その絶頂期は過ぎた、という見方も無理はないでしょう。

「男ってのは裏切るものさ。まず、父親を、それから母親を、兄弟があれば兄弟姉妹を。裏切る数が多ければ多いほど、そいつは男になっていくのさ」

■人間賛歌■

 しかし、それでもぼくは「『グイン・サーガ』はつまらなくなってしまった」とは思わないんですね。変わったのはけっきょく、枝葉の部分であって、本質は何も変わっていないと思うからです。

 『グイン・サーガ』の本質とは何か? それは人間愛であり、人間賛歌です。不条理な運命をそれでもなお受け入れることの賛歌であり、ひとを愛し、ゆるすことの賛歌ともいえる。

 その部分を見ずにただ話の筋だけを追いかけているだけだと、たぶんいまの『グイン・サーガ』はおもしろくも何ともないでしょう。

 主人公の一人であるアルド・ナリスの生き方を見てみましょう。陰謀渦巻く宮廷で保護者もなく育ったかれは人間不信の塊でした。なまじ並外れてすぐれた頭脳をもっているものだから、人びとの思惑がいちいち透けて見えてしまうのです。

 あいつは地位を狙っている、あいつは愛欲におぼれている、あいつは忠誠心が厚いようだが、自己満足に耽っているだけだ、そんなことがすべてわかってしまう。

 だから、かれはだれも信じなかった。しかし、そのくせ、だれよりも人間を信じ愛しているかのようにふるまうのがナリスだったのです。

 ところが、あるとき、転機が訪れます。拷問にあい、寝たきりの身になったナリスは、少しずつ、少しずつ、人間に対する見方を変えていくのです。それがぼくには感動的でした。

 ただ、そのあいだひたすら心理劇が続いてマクロの話は止まったままですから、波乱万丈の冒険活劇を期待する読者は退屈だったでしょう。しかし、本来、栗本薫はそういう作家なんですよね。暗いたましいのおののきを描く作家。

 『グイン・サーガ』を単なる王道ヒロイック・ファンタジーと分かつのはその点なので、ぼくとしては何とかそこらへんをくみ取って読んでほしいのですが、やっぱり読者は物語を追いかけるものなのでしょうね。

「わからぬのは、きみの方だ」
 怒りが、マリウスの朗らかな瞳を黒い炎にかえた。自分では、思ってもいなかったが、そうして青ざめ、唇をひき結んでいると、かれはその兄にそっくりであった。
「きみはなにひとつ知っちゃいない。王家に生まれることの呪わしさ、不幸、いとわしさ、兄弟骨肉で王位を争い、そのために人びとが二つにわかれてたたかうのを見、玉座のはかなさとむなしさを見てさえいない。きみはただ、頭に描いた夢しかみていない。ぼくはおのが血を涙を通していう。玉座など下らぬ。王家の血など永遠に呪われてあれ。ぼくはあの十四の少年の血潮の一滴をあがなうためなら、王冠など千回だって投げすててかえりみないだろう」

■1冊読むなら■

 おためしに1冊読むなら、外伝をお奨めします。それぞれ1冊で完結していますし、本編の話を知らなくても問題なく楽しめると思います。

 ぼくのおすすめは『七人の魔道師』、『十六歳の肖像』、『ヴァラキアの少年』辺り。

ヴァラキアの少年―グイン・サーガ外伝(6) (ハヤカワ文庫JA)

ヴァラキアの少年―グイン・サーガ外伝(6) (ハヤカワ文庫JA)

 ダークなヒロイック・ファンタジーを楽しみたいなら、『七人の魔道師』、とにかく端正な小説を読みたいというなら、『十六歳の肖像』、エンターテインメントとしておもしろい作品がいいなら、『ヴァラキアの少年』、というところでしょうか。

 ここらへんはもう、ほぼ完璧な小説といっていい。いまの『グイン・サーガ』に文句を付けるひとは多いだろうけれど、この頃の作品に文句を付けるひとはほとんどいないんじゃないかな。それほどにすばらしい出来。客観的に見て、傑作としかいいようがない小説です。

 『十六歳の肖像』の少年ナリスの潔癖は萌えますし、『ヴァラキアの少年』の少年イシュトヴァーンの純情は泣けます。で、もうすこし読んでみたいな、と思ったら、『星の船、風の翼』、『マグノリアの海賊』へと進んでください。

マグノリアの海賊―グイン・サーガ外伝(9) (ハヤカワ文庫JA)

マグノリアの海賊―グイン・サーガ外伝(9) (ハヤカワ文庫JA)

 ここらへんも、ロマンティックで、ノスタルジックで、切なくて、小説の醍醐味を味わえます。このころの栗本薫は、何かが取り憑いているんじゃないかというくらい、うまかった。

 やっぱり第1巻から読んでいきたいという向きには、新装版があります。文庫第16巻に相当するところまで刊行されるそうです。

グイン・サーガ 1 豹頭

グイン・サーガ 1 豹頭

 文庫版に比べると少々見た目がチープですが、ここから入るという手もあるでしょう。そのときはクリスタル公爵アルド・ナリス登場辺りまで読みすすめてほしいですね。そこから一気におもしろくなってくるので。

 さて、いろいろ書きましたが、『グイン・サーガ』、毀誉褒貶はあってもやはり不世出の傑作だと思います。一読してみて損はないと思うので、せめて外伝だけでも読んでみてほしいと思います。

 あなたにヤーンの祝福のあらんことを!

「神は奪い、また与え給う。ありがとうございます――ありがとうございます!」