『Love me more』第5話


 第5話です。id:taitokuとは一切関係が(以下略)。ちなみに全16〜18話程度に収まる予定です。それでも長いな……。


5.αoα

「あ、敷居さん。おひさしぶりだね」
 ひとりで酒を呑んでいると、その男は気安く声をかけてきた。
 ボーダーのシャツの上にシックなジャケットを着込んだ、二十代と思しい青年である。軽薄な顔の上に軽薄な笑顔を貼り付かせ、いかにも遊び人という風情だった。一夜の快楽を求めて男女が集うこのバーにはお似合いの風体といえたかもしれない。
 「青髭」。
 夜ごとの恋の相手を求める遊び人が集まることで、京都界隈では有名な酒場である。薄暗い店内にはムーディーなジャズがかかり、恋の鞘当てに熱中する男や女たちを演出している。
 敷居はその男の挨拶を無視して、そのまま水割りを傾けた。男は気にした様子もなく、かれの隣の椅子に座って話しかけてくる。
「ずいぶん間が空いたじゃない。敷居さんと逢えなくて、おれ、寂しかったよ」
「そうか」
 ひと言だけ答えて、敷居はグラスをカウンターに置いた。すかさず、バーテンダーがあたらしいグラスを用意する。かれはこの店では常連だった。
「そうだよ。ほんとに寂しかったんだから。敷居さんはこの店のスターだからね。いてくれないと、盛り上がらないよ」
「タイトク」
 敷居はあたらしいウォッカに口を付けた。
「おれは見え透いた世辞は好かないといっておいたはずだ」
 タイトクと呼ばれた青年は、降参だ、というように両手を上に掲げてみせた。そういうユーモラスな動作が妙にわざとらしく見える若者である。
「でも、本当に何をしていたの? 前はほとんど夜ごと訪れていたのに、最近は二週間は来ていないよね。敷居さんがセックスなしでそんなに過ごせるとは思えないんだけれど」
「動物を拾ってな。世話に忙しかった」
 タイトクは口笛を吹いた。
「へえ、意外だな。敷居さんでもそんな仏心を出すことあるんだ。猫、それとも、犬?」
「人間だ」
「人間?」
 タイトクは一瞬、どういうジョークだろう、と考え込む表情になった。しかし、すぐに敷居がそういう冗談をいう性格ではないと気づいたらしく、軽薄そうな瞳に妖しい光を眩めかせた。もしその様子を見ている者がいたら、この男がただ軽薄なだけの男ではないと、むしろ表面の軽薄さは仮面に過ぎないと、気づいたかもしれない。
「どういう意味? まさか一人身を崩さないことで有名な敷居さんに同棲するような恋人ができたの? もしそうなら、嫉妬しちゃうな」
「違う」
 敷居は淡々と答えた。
「ただ拾っただけだ。道端にたおれていたから、家に連れて帰った。色々とあって、うちに居候させることになった。それだけだ」
「ふーん。そいつ、どんな奴なの?」
「十七、八のガキだ」
「十七、八! まだ子供じゃないか。じゃ、ほんとに恋人じゃないんだね。純粋に善意で拾って帰ったのか。偉いなあ」
 タイトクは大げさに手を広げて驚きを表した。疑わしそうな口調から、敷居の言葉を完全には信用していないことがわかる。無理のないことだ、と敷居は思う。自分でも信じられないのだ。他人がそう信用できるはずがない。
「その子、どんな子なの? 敷居さんのこと、知っているの?」
 敷居は首を横に振った。
 タイトクはおもしろそうに、
「そうか。驚くだろうな。敷居さんがあの超有名ブログ〈敷居の先住民〉の管理人だって知ったら」
 〈敷居の先住民〉。
 いまの若者で、その名前を知らない者は少数派だろう。おそらく日本でも、一、二を争う知名度をもつブログである。一日数十万ヒットのアクセスを誇り、特に若者に絶大な人気があった。あたらしい流行の発信基地としてマスコミからも注目を集め、多数の有名人が愛読していることでも知られていた。その発言の一つ一つが議論を呼んでネットの世論を形づくっているといっていい、超巨大ブログ、それが〈敷居の先住民〉なのだ。その管理人である敷居は〈αoα――アルファブロガー・オブ・アルファブロガー〉と呼ばれ、尊敬と、そして敵意とを一身に集めていた。
「あいつもブログを始めたらしい」
 敷居はいった。
「何といったか、そう、〈はじめてのC〉だ」
「へえ、でも、敷居さんの目から見ると、まだまだ未熟なものでしょう?」
「たしかにな」
 しかし、と敷居は思う。かれが路傍で拾った少年が始めたブログ、〈はじめてのC〉は、かれの目から見ても、驚異的な才能を感じさせるものだった。そこには、豊かなアイディアのきらめきと、集中力、そしてたぐいまれな文章センスがあった。椎に欠けているものは、ただ経験と、方法論だけだった。そしてそれらは努力で身に付くものだ。
「それより、さ」
 タイトクは敷居の痩身にしな垂れかかった。
「ね、今夜、どう? 敷居邸がだめなら、どっかのホテルに行こうよ。二週間ぶりなんだ。敷居さんも溜まっているでしょう」
 ねっとりとした甘えるような声音だった。敷居は初めてタイトクの方を向いた。かれとこの男は、過去何度も肉の関係に陥ったことがある。今日も、その肉体に、欲望を感じないことはない。しかし。
「せっかくだが、椎が待っているんでな」
 敷居はタイトクを冷たく拒絶した。タイトクは舌打ちして不満を表す。
「椎って、その拾った子だね。厭だな、いままで誰も寄せ付けなかった敷居さんがそこまで執着するなんて。あの、さ」
 その一見すると軽薄そうな瞳に、妖婦のように妖しく、そして白刃のように危険な光が乱舞した。
「もし敷居さんが本気になったら、おれ、そいつ、殺しちゃうかもしれないよ」
「心しよう」
 敷居は立ち上がって、勘定を済ませると、そのまま無言でその場を立ち去った。かたわらの青年の方は一瞥すらしない。
 タイトクの妖しく眩めく瞳は、敷居が消えたドアを、いつまでも追いかけていた。