『Love me more』第4話。


 第4話です。


4.居候

 乾燥機のなかで洋服と下着が円舞を踊っている。椎はその前にひざを抱えて座り込み、無言のままじっとその様子を眺めていた。そうしていると、かれの童顔はよりいっそう幼く見えた。
 燕はソファに座してその様子を横目で眺めながら、敷居がいれたコーヒーにシュガーを注ぎいれた。
「ね、あの子、どうするつもりなの?」
 テーブルに座ってコーヒーを飲む敷居に問いかける。
「どう見てもそこらの不良少年って感じじゃないよ。アイドルみたいに可愛いもん。髪なんかさらさらだし。お肌もぴちぴちだし。女の子としては妬けちゃうくらいだよ」
「そうだな」
 敷居は頷いた。性格はともかく、その容姿の端麗さは否定することができない。
「言葉遣いも普通じゃないし、服装も上等だ。金持ちの家出小僧というところか」
「かもね。お貴族様の御曹司、って感じだよ。で、どうするの? 椎くん、きっと行くところないよ」
 いって、敷居の顔をじっと見つめる。どういうわけか、この少女だけは、大人も恐れる敷居の目つきを怖がらない。それどころか、じっとにらんでやると、微笑みかけられたように笑顔を綻ばせる。脳の回線が混戦しているとしか思えなかった。
 親戚の女性の娘なのだが、この少女と対しているときだけは、自分の態度が軟化していることに、敷居は気づいていた。
「ここに置いてあげなよ」
 燕は熱そうにコーヒーを啜りながら、そう言い出した。
「自分で拾ったんでしょ? 最後まで責任を取らなくちゃ駄目だって。わたし、拾った猫とかすぐに捨てちゃうひとって最低だと思うな」
「猫とは違うだろう」
 いいながら、敷居はその可能性を検討していた。
 もともと、一人で住むには広すぎる部屋である。あの少年を居候させたところで、手狭になる心配はない。しかし、それでも、この部屋での孤独な生活に他者を介入させることは気が進まなかった。そして何より。
「本人の意思が問題だろう。あいつはすぐに出て行くつもりらしいぞ。うちに帰るのかもしれん。それを邪魔するわけにはいかん」
「もう、敷居さんってば、気弱だね。好きになっちゃったら押しの一手だよ!」
「好き?」
 敷居は小首を傾げた。あいかわらず、この少女のいうことは突拍子もない。
「そうだよ。だって、冷酷非情な敷居さんがこんな親切なことをするなんて、絶対に普通じゃないよ。ひと目惚れしちゃったんでしょ? わたしには、隠さなくていいからね」
 そうか、と敷居は内心で頷いた。
 燕は椎子のことを知らないのだ。それならば、そういうふうに勘違いしたとしても無理はない。
 しかし、ざんねんながら彼女の想像は核心を外していた。敷居があの少年をこの部屋に連れてきたのは、過去の思い出のためなのだ。ただ、永遠に失われた日々への感傷が敷居のからだを動かした、それだけのことなのだ。
「いずれにしろ、本人が出て行きたいというなら止めることはできないな」
 敷居はコーヒーをテーブルに置いて、煙草を取り出した。燕が不満そうな目つきで見つめてくるが、取り合わない。
 燕は、仕方ないな、というようにため息をつき、少年のもとに歩み寄った。
「椎くん、椎くん。君の意見を聞きたいんだけれど」
「何だ」
 先ほど椎と名づけられた少年は、素直に返事をした。そういうところも、育ちの良さを感じさせる。
「君、行くところあるの?」
「お前たちには関係ないことだろう」
「関係あるよ。だって、椎くんを拾ったの敷居さんなんだよ。つまり、椎くんを警察に持って行ったらお礼に一割をもらえる権利があるということだね。それだけ椎くんと敷居さんは深い関係になってしまったんだよ。そういうわけだから、わたしももう椎くんとは他人とはいえないね。だから、いうよ。椎くん、君、行くところがないならしばらくここに居なよ。敷居さん、冷酷非情だけれど、悪いひとじゃないから、きっと置いてくれるよ」
「ふん。わかるものか。どう見ても悪人面だ」
「たしかに顔はそうだね」
 燕は腕を組んでわざとらしく頷いた。
「でも、心のなかは綺麗なんだよ。道端にたおれている君をわざわざこの家まで連れてくるくらいだからね。君、ちゃんとありがとうを言ったの? 礼儀は守らないと駄目だよ。これからお世話になるひとなんだからね」
「世話になるつもりなどない」
 椎は怒った様子で立ち上がった。大股で敷居のもとに歩み寄り、かれの顔を指差す。
「おい、お前!」
「何だ?」
「なぜ、あんなことをした?」
「あんなこと……?」
「とぼけるな! わたしに、その」
 一瞬逡巡してから、先を続ける。
「キスをしただろう! なぜだ」
 ああ、と敷居は頷いた。
「ただの気まぐれだ。気にするな」
「気にしないわけがないだろう! 男同士だぞ!」
 叫んで、掌でテーブルを叩く。卓上に置かれたコーヒーが小波を起こした。敷居は気にも留めず、紫煙をくゆらせた。
「男同士だろうが女同士だろうが唇を合わせればキスはキスだ。しかし、それだけのことでもある。おれがお前に抱いている感情を証明するものじゃない。だから、気にするな、といっている。それとも」
 敷居は皮肉っぽく微笑んだ。
「もう一回してほしいのか、坊や」
 椎の端正な顔が、筆で刷いたように紅潮した。かれは何か叫ぼうとして呑みこみ、しばらく考え込んだかと思うと、やがてあざけるような微笑を浮かべて、挑発的に呟いた。
「そうか。それならいいだろう。これからしばらくの間、ぼくはここに泊まることにする。キスの代金だ。ぼくの唇は安くはないぞ。ただし、二度とぼくに触れることは許さん。もしもういちど同じことをしたら、今度は唇をかみ切ってやるから、そう思え」
「かってな小僧だ。安心しろ、おれは子供には興味はない」
 敷居と椎の視線が空中で衝突した。
 少なくとも、と敷居は内心で呟いた。この小僧にはおれの視線を受け止めるだけの根性があるわけだ。
「うわあ。良かった。これで椎くんも敷居邸の仲間だねっ」
 燕がうしろで大げさに拍手する。
 これが敷居と椎の生活の始まりだった。