胸をはって好きといえるものがありますか?

 「いい歳して漫画読んでるなんて、恥ずかしくない?」と言われた。

 別に恥ずかしいと思った事はない。元々、人の目を気にする方でも無いし。

 それはさておき、もう何年も前からテレビでやっているドラマの大半が漫画を原作とした作品で、原作無しのオリジナルドラマに比べれば、どれもそこそこの視聴率を出している。

 上の台詞を吐いた人も、それらのドラマを見ているのを知っている。なぜ元の漫画だと「いい歳して」なんだろうか。

 ぼくは経験したことがないけれど、いかにもありそうなシチュエーションである。

 ただ、こういうことを言うひとのことを一々気にする必要はないと思う。結局、何か合理的な理由があって言っているわけじゃなく、ただ世間の価値観を従順になぞっているに過ぎないのだろうから。

 人間が皆自分の頭で考えてものを言っていると思ったら大間違いで、世の中には、周囲の価値観をそのまま内面化してしまっているひとが少なくないのである。そういうひとはコピペしたように個性のない発言をくり返す。

 こういうひとに自分の頭で考えてもらおうとすることは、それはそれで、余計なお世話というものだろう。放置するしかないのである。

 さて、その一方で、こういう意見もある。

 ところで、ぼくがマンガを読まない理由は一つしかなくて、それは面白くないからである。ぼくは今、本当に読みたい思えるマンガというのがほとんどなくて、わずかに「へうげもの」と「テレプシコーラ」だけだ。だから、電車の中に限らずマンガ雑誌を面白そうに読んでいる大人を見かけると、「いい大人が……」とは思わないけれども、面白さの感性みたいなものは疑ってしまうのである。「どうしてあんな面白くないマンガ雑誌を、お金を出して買うことができるのだろう?」と。

 挑発的に見えて、実はこれも個性を欠いた発言である。

 ぼくは思う。こういう「漫画は恥ずかしい」とか「つまらなくなった」という意見は、ある意味で安全なものなのだと。

 「漫画はおもしろい」と言ってしまえば、「あんなものをありがたがっているのかよvv」という嘲笑に晒される危険がある。

 その点、「おもしろいものなんかない」「くだらないものばかり」という態度を取っていれば、ある程度は安全である。

 漫画に限らず、何かを「好きだ」とか「おもしろい」ということは、リスキーなことなのだ。なぜなら、それは自分を開陳することだから。

 だから、賢いひとはよく物事を否定形で語る。肯定する場合も、決して絶賛しすぎないように注意する。そうすれば、柔な自分自身を他人の目にさらすことは避けられる。安全で賢明なやり方だ。

 でも、ぼくはこうも思う。そういう人生は楽しいのだろうか? 安全なだけの人生に何の価値がある?

 ぼくは現代漫画はすばらしくおもしろいと思っているし、それを表に出すことをためらう気はない。そのことを笑うひともいるだろう。しかし、それが何だろう? ひとの意見がそれほど重要だろうか?

 漫画でも音楽でも鉄道でも書道でもサッカーでも、好きなものがあることは幸福なことだと思う。たとえそれで世間から蔑視されるとしても。

 逆に、何ひとつ胸をはって好きと言えるものがないのは寂しいことだ。だれにもばかにされないかもしれないが、だからといって幸福だとは言えないだろう。

 だから、ひとから「いい年して、そんな趣味、恥ずかしくない?」といわれたときは、そのひとに同情してあげるべきだろう。そういうひとは、そんなことがどうでも良くなるくらい充実した何かをもっていないということだろうから。

 あなたには、胸をはって好きと言えるものがありますか?