『Landreaall』に見る対等な関係性。

Landreaall 13 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

Landreaall 13 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

 まだ興奮が収まらないので、今日も『Landreaall』の記事を書きます。

 そのようなノブレスオブレージに溢れる気高さにしびれるが、、、、それ以上に、この作品が、もう目から鱗が落ちるくらい、素晴らしいのは、それによってないがしろにされる商人であり平民のライナスらが、フリンジという貧民街出身のフィルらが、同じくらいの高貴な意思を持って、誇りを持って、その気高き騎士道に、貴族としての心意気に対峙しているんだ。この機能の差を持ちながら、それでも自らの役割にコミットし組織の目的を見据える誇りこそ、真の対等というものだ。

 素晴らしい、、、ただ単にエリートや指揮者のノブレスオブレージを書くものは、たくさんあり、そういう称揚は、この大衆社会では、使い古された言説だ・・・。けど、指揮される側、リーダーに従う「部下たち」の側の、機能にコミットする誇りを、、、、指揮官や貴族たち高位にいる者たちへの「対等な意識」として対立させることで、機能と身分を超える、対等な人間関係の可能性、、、、、機能が立場の違いとつくっても、人と人が対等、足り得ることを示してくれる・・・・。すばらしいよ。これって、組織を生きる人間の、あるべき姿なんだと思う。

 わすれてはならないことがある。それは、どんなに身分の差があろうと、才能の差があると、役割の差があろうと、どんな壁が、ボーダーがあると、人間には共感能力がある。だから、同じ目的のもとで、自らを捨てて組織の役割にコミットした「仲間」を、「戦友」を、人は裏切れない。貧民街出のフィルは、たぶん永久に、貴族のことは理解できまい。逆もまたしかり。生まれによってでなければ、その役割の意味が理解できないからだ。けど、「ハルのこと」「ティティのこと」が理解できるんだ。そして、それが、身分や階級の差を超えていく原動力になる。

 そう、これは、革命なんだ。身分制が固定化された社会で、「真の意味での対等な人同士の紐帯」を、役割と機能を超えて、組織としての力を発揮しながら、、、厳格にその「機能」の差を見せられながらも、それでも実現している。それは、まだアカデミーというエリート集団の学校の中だけではあるが・・・・

 切るところがないので長々と引用してしまいましたが……そうそう、そうなんですよ! ここにいたってぼくにもようやくわかってきた。『Landreaall』は「革命」の物語なのだと。

 主人公であるDXがもつ先進的な意識、あるいは思想が、少しずつ少しずつ周りに浸透していき、やがては社会をも変えていくかもしれないという、そういう話なんですね。

 そうわかった上であらためて本編を読み返してみると、またいろいろ発見があっておもしろい。ほんと、よく考えられているなあ。

 ひとりで感心していてもしかたないので、わかるように話すことにしましょう。以前の書評で、ぼくはこう書きました。

 ここで付言しておくと、この『Landreaall』という作品のひとつの特徴は、階級社会を非常に丁寧に描いているところにある。

 物語の舞台となるアトルニア王国は、現代日本に住むぼくたちの目で見ると、ある意味で差別的な社会である。商人の子は商人、騎士の子は騎士、と出生によって将来が決められるという一面がある。

 物語のなかでその制度を無視するのはDXとイオンの二人だけ。しかし、少年たちは、やがて身分制度を超えた友情関係を築き上げていく。

 『Landreaall』の主な舞台となるアトルニア王国は、貴族が執政の全権を握る階級社会です。その身分制度は厳密なもので、たとえば、騎士になれるのは貴族出身の者のみ、といった制度があります。

 しかし、主人公であるDXとその妹イオンだけはそういった身分制度から自由なんですね。第4巻で学園に入るとき、貴族の少年から「フィルなんかと付き合うなよ 財布をくすねられるぞ」といわれたDXは、平然といい返します。

「ケツの穴蹴っ飛ばすぞアホ共! 友達は選ぶよ フィルは最初の友達だ 竜胆は2番目 あとはまだわからないけど… 君たちと友達になるのは最後だと思うよ」

 また、従騎士候補生に選ばれて、「無理でもダメ元」というフィルに対し、DXとイオンはあたりまえのような表情で「無理? なんで?」といいます。

 これらの描写は、アトルニア王国の身分制度社会のなかにあって、DXとイオンだけが「関係性は対等である」という意識を抱いていることを意味しています。

 で、なぜ、彼らだけがそういう近代的な意識をもっているかというと、たぶん家庭環境に原因があるんですね。

 王国の辺境エカリーブに生まれ育ち、傭兵の母をもつ彼らが、傭兵としての価値観で育てられたことは想像に難くありません。このことがDXとイオンの価値観を形づくっている。

 つまり、すべての発端はDXたちの両親の出逢いの物語である『クレシェンドマリオン』にまで遡るわけです。『クレシェンドマリオン』で生まれた価値観が、さざ波のように浸透していっているといっても良い。

 初め、それはDXの友人たちに影響を与え、たとえばフィルを変えて行きます。貧民外の出であることにコンプレックスをもち、拗ねていたフィルは、DXたちとの出逢いによって、従騎士になるという夢を抱くようになるのです。

 そして、この第13巻に至って、それはさらに広くアカデミー生徒一般にまで広まっていきます。

「フィルは逃げずに僕らと戦ったのに」
「僕らが目指す本当の騎士団が―――― フィルの家族を守らないかもしれないなんて」
「フィルの奴 それを当然だと思ってる 落胆もしない 期待してないんだ 悔しいような…… あー なるほど DXの気持ちが少しわかった気がするぞ」
「ハハ 確かに…」
「今更かもしれないけど」

 この台詞は「DXの(身分制度を無視し、奔放にひとと交わるその)気持ちが少しわかった気がするぞ」という意味だと思われます。

 そして、この「意識革命」は、やがて国家全体に波及していくであろうことが示唆されています。ここで重要なのは、DXたちのこの平等意識が、決してたがいの違いを無視する似非平等ではないということです。

 この「アカデミー騎士団」編では、これまでに登場したティ・ティ、ライナス、フィル、ルーディーらがそれぞれ全く異なった役割で活躍しています。

 ティ・ティは頭脳を努め、ライナスは剣を振るい、フィルは斥候を果たし、ルーディーは「石(ジェム)」を喚起する。ここにあるものは、「地位も、能力も、それぞれの果たすべき役割も違うにもかかわらず、それでもなお、対等に渡り合える関係性」なのです。

 ここにはひとが自分の役割にコミットし、精一杯責任を果たすこと、そしてその連なりが「個」を超えた「組織」として大きな目的を果たすことへの賛歌があります。いや、素晴らしい。

 ただ、こういったことが、『ZERO-SUM』で『最遊記』とか読んでいる若い読者層にどこまで理解してもらえるかというと、はなはだ心もとない話ではあると思います。

 やっぱりもっとストレートな冒険譚や学園物語の方が受けるのかもしれない。ここらへん、非常にむずかしいところであって、エンターテインメントである以上、テーマさえ崇高ならそれでいいというわけにはいかないんですよね。

 とにかくめちゃくちゃおもしろいので、未読の方にはぜひ第1巻から読んでみられることをお奨めします。

Landreaall 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)

Landreaall 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)