鬼才連城三紀彦の魔術。

造花の蜜

造花の蜜

 辞書で「鬼才」を引くと、

人間とは思われぬほどのすぐれた才能。また、その才能をもつ人。

 と、記されている。

 この言葉は連城三紀彦にこそふさわしいと思う。その不世出の才能は、まさに「人間ばなれした」と形容したくなるような一種の凄絶さを帯びている。

 様々な方面で傑作をのこしているひとではあるが、ぼくが最も愛するのは、やはり推理作家としての顔だ。

 本書『造花の蜜』は、その連城が数年ぶりに物した長編推理小説。しかも誘拐ものと来ては、いやが上にも期待が高まろうというものである。

 そして、作家はその期待を裏切らない。この作品を読むものは、老いてなお衰えを知らぬ鬼才連城三紀彦の腕前に、感嘆のため息を吐くことになるだろう。

 物語は、ある幼い少年が誘拐されるところから始まる。すぐに警察があらわれ、捜査が開始されるものの、犯人は「身代金は好きな額で良い」「受け渡し場所もどこでもいい」などと、捜査陣を翻弄するかのような発言をくり返す。

 いったい、この犯人は何者なのか? そして、何を考えているのか? 驚愕の真相にいたるまで、事件は二転三転する。

 いま、二転三転、と書いたが、本当にただの一行でそれまでの展開があっさりと崩れ去ってしまうのである。しかも、その反転劇があくまでも洗練されていて無理がないところが素晴らしい。

 ふつう、サプライズを重視した作品では、どこかに無理が出てくるものである。推理小説としての要請が、小説としての練度を犠牲にするのだ。

 しかし、連城三紀彦の書くものは、そういった無理をほとんど感じさせない。その根底にあるものがそこらの新本格作家をも凌ぐ破天荒な奇想であるにもかかわらず、連城の小説は一本の文芸作品としてかぎりなく完成されている。ぼくが連城を鬼才と呼ぶ所以である。

 本書でも、その鬼才の絶技は随所に見られる。なかでもおどろくべきは、やはり終盤で明かされるトリックだろう。

 先に延べたように、前半の時点ですでにおどろくべきトリックが明かされるのだが、事件の裏にひそむ真相はさらに驚愕すべきものだ。

 このトリックはすさまじい。よく読めば堂々と伏線が張られているのだが、それでもなかなか見抜けるものではないだろう。何か、根本的なところで発想が違っている。

 『戻り川心中』や『敗北への凱旋』を読んだときも思ったが、このひとはどこからこういうアイディアを拾ってくるのだろう。読者の心理の盲点を射抜く、悪魔的着想としかいいようがない。

 そして、最終章では、そのトリックを受けてさらに物語が続くことになる。本書のなかで論議を呼ぶ箇所があるとすれば、この最終章だろう。

 その前の章まででほぼ事件は解決を見ているので、ある意味、この章は蛇足といえないこともない。この章の存在が、小説としての完成度を損なっていると見ることもできると思う。

 しかし、その点を差し引いても、やはり、この作品が傑作であることは揺らがない。本格として、今年を代表する作品だろう。今後、誘拐ものの代表作を挙げるときには、必ず本書の名前が挙がることになるはずだ。それほどの歴史的逸品である。

 ぜひ、ご一読をお奨めする。