腐女子は言葉を奪われた種族か。

 堺市の市立図書館が所蔵する「ボーイズラブ(BL)」と呼ばれる男性同士の恋愛を題材にした小説計5500冊をめぐり、市民らから賛否が寄せられている問題で、市立全7館の館長会議が14日開かれ、青少年への影響にも配慮して誰でも自由に見られる書棚ではなく書庫で管理する一方、請求があれば18歳未満にも貸し出す方針を決めた。同日から運用を始めた。

 堺市図書館問題は順調に進展しているようです。ちょっとこの問題に労力を割きすぎた気がするので、新たな動きがないかぎり、これにかんして記事を書くのはこれで最後とします。

 さて、今回触れるのは、この問題の最大の当事者である「腐女子」のひとたちのことです。今回の件における彼女たちの言動/行動について、熊田一雄さん(id:kkumata)はこのように語っています。

 この事件については、本来なら、最大の被害者である、BL本を私費で購入するだけの金銭ないし家庭環境の余裕のない、いわゆる「腐女子」および「貴腐人」が、「当事者主権」で抗議の声を挙げるべきでしょう。日本には、小遣いでBL本を購入することすら親に許されていない女子がまだまだいます。しかし、この事件に関しては、「当事者」がうまく自分を表現できないようです。それだけ、日本社会における男性中心主義が根強く、「腐女子」や「貴腐人」は「言葉を奪われている」ということでしょう。

 ぼくはこの発言に違和感を感じます。

 「言葉を奪われている」という言い方は、当事者に何の責任もないことを前提としているように思える。

 もちろん、そういう側面がないとはいいません。日本社会がもっと違うかたちだったとしたら、腐女子がより語りやすかったことはたしかでしょう。

 しかし、すべてを社会の責任に還元して良いのか。腐女子自身の課題もあるのではないのか。

 たとえば、id:natsu_sanさんは以下のように言います。

もう一つの問題は、「市民の声」を行き過ぎとは感じながらも「なら排除されても仕方ないな」とか、「なんて排除されて当然、むしろ排除しろ」と思う人が多くいたことで、このことが根本の問題に触れるのを難しくしたように思う。しかも、このような声は男性側からだけでなく、腐女子内部からもあった。

 こういう「声」を「いや、これは社会の圧迫によって言わされているのだ」としか見ないことは、むしろ当事者を侮辱することではないかと思うわけです。

 彼女たちを責めるつもりは全くないのだけれど、今回の事件がBLのことがニュースになる最後の例だとはとても思えない。第二、第三の事件が起こるときがきっと来る、そのときに腐女子が語るべき「言葉」をもたないことは大きな弱点となるのではないか。

 「注目されたらさらに奥へ隠れる」という戦略は、いいかげん通用しなくなってきているように思いますし、これからさらに通用しなくなっていくでしょう。

 そういう意味で、腐女子は岐路に立たされているような気がします。