2次元はひとを裏切る。


 『かんなぎ』という作品のヒロインに想い人だかモトカレだかがいたという話がネットで話題になっている。しかし、ぼくは『かんなぎ』を読んでいないので、以下の話は一般論として書くことにする。

 id:hachimasaさんはこの話を以下のようにまとめている。

そこに萌えがあったから、救われたひとがたくさんいる。非モテだキモオタだとレッテルを貼って検証することは本意ではないけど、そういうふうに呼ばれているひとびとのなかに、「ヒロイン」の存在になぐさめられたひとがいたのは事実なんだろう。

そして、そこに萌えがあったがゆえに、かれらのうちの何人かは絶望の淵にたたきおとされもしたのだと思う。萌えネイティヴだなんてアホくさい命名をするつもりもないけど、物心ついたころにはすでにオタク文化が爛熟期に達していて、片手にG's magagineやらコンプティークやらをたずさえて歩んできた人間は、「現実」を目にしてどう思うんだろうか。認められないだろう。そこで逃げこんださきの「ヒロイン」が、かれを裏切ったと(感じさせたり)したら……。

 本当にそんなことで「絶望の淵にたたきおとされ」たひとがいるのかな、とも思うが、ま、いるとしよう。

 個人的にはばかばかしいと思うけれど、処女崇拝じたいは何の問題もない。個人の趣味嗜好として自由である。

 処女を崇拝することも自由なら、童貞を守り抜くことも自由。素晴らしきかな、自由の国ニッポン。

 しかし、読者の方に処女を期待する自由があるなら、作品の方にはその期待を裏切る権利がある。それだけのことだと思う。

 読者がどんなに傷つこうがかまわず自由に展開を作っていく権利が作者にはあるということ。そして、「2次元は裏切らない」なんて、大嘘だということですね。

 作家は、その必要があるならどんどん読者の期待を裏切って「絶望の淵にたたきおと」してやれば良い。それこそ表現の他者性というものだろう。

 読者が泣こうがわめこうが知ったことではない。作品の完成度のほうがずっと大切である。