山本弘の美点と欠点。

“環境問題のウソ”のウソ

“環境問題のウソ”のウソ

 労作です。

 武田教授のベストセラー『環境問題のウソ』を取り上げ、その「ウソ」を徹底的にあばいています。その考証の細かいこと細かいこと、まさに微に入り細をうがつ勢い。

 ぼくは途中まで真面目に元データを参照しながら読んでいたのですが、途中で飽きてしまってそのまま読み耽りました。したがって、ぼくには本書の内容がどこまで正しいのか細かく検証することはできません。

 いや、正直にいえば、数字に弱いうえに科学的識見に乏しいぼくでは、たとえ真剣に読み込んだとしても、小さなミスには気づかなかった可能性のほうが高いでしょう。

 ぼくにもわかることは、この本が非常によく調べられていること、『環境問題のウソ』には重大な問題点があるということです。

 そして、山本さんの書き方が、時として過剰にいやみになっているということ。たとえば、武田教授のある文章に対し、かれはこう書く。

 はあ、何トンチンカンなこと言ってんですん(ママ)か、センセイ? この「記事」は2034年のニュースという設定なんですけど? 1984年の南極の気温がどうだったかなんて関係ないでしょ?

 その批判の成否はともかく、何もこんな書き方しなくたっていいじゃんね。ぼくには、山本さんが不要に敵を作っているように思えます。

 とはいえ、全般的に見ると、山本さんの姿勢は非常に誠実だと思います。たしかにいやみはいうのですが、事実関係は曲げず、あくまで事実に基づいて批判しています。

 また、一方的に批判をぶつけるだけではなく、とにかく対話をこころみている点も評価できる。ここらへん、ネットに溢れる「批判」が、しばしば一方的で、思い込みにもとづいていることと対照的です。

 しかも、最後には武田教授にも認めるべき点があると書いている。

 武田教授の本の内容がすべてウソだとは言わない。正しいこともたくさん書いてある。勉強になる部分や、「もっともだ」と思う部分もいっぱいある。しかし、明らかなウソや間違いが多すぎる。だから僕は武田教授の本を信用しない。

 なかなか書けることではないでしょう。その辛辣な発言にもかかわらず、山本弘というひとは根っこの部分で誠実さを感じさせるところがあります。

 ぼくはこのひとのこういうところが好きだし、信頼しています。あまりにも極端な思想や、いやみないい方に時々辟易させられることはたしかなのですが、基本的にはぼくは山本さんのファンです。

 しかし、その書き方のせいか、この本、Amazonでの評価は非常に悪いんですね。そして、驚くべきことに、山本さんはこのAmazonのレビューに対し、自分のサイトでひとつひとつ反論しています。

 ぼくは両者を読み比べてみたのですが、今回は山本さんのいうことのほうが正しいと思いました。というか、あまりにも無茶な批判が多すぎる。とくに、これはない。

この手の論争は、激化するほど、専門知識のない素人は置いていかれてしまいます。
なので、わたしたちの理解により良いのは、イベントや映像による討論です。
そこでは、細かな表情やリアクションから、説得力を判断することもできます。少なくとも、文章のみよりは。
ところが好都合なことに、武田氏と山本氏の対談が、インターネットのミランカで見ることができるのです。
それを見れば一目瞭然です。
結果は、武田氏の圧勝に終わっています。
逆に、山本氏にとっては痛い映像が残ってしまいました。(でも、それは本人の責任ですからね)

 表情で判断されてもなあ。山本さんもよく一々反論するものだと思います。それがかれの美点であり欠点でもあるのだろうけれど、普通、こんなに相手にしないよなあ。感心します。

 さて、余談になりますが、それとは別にぼくがネットで見つけた本書に対する批判をひとつ取り上げてみましょう。

特に私が見過ごせなかったのは、266頁で

大多数の科学者がある説を信じているなら、それなりのしっかりした根拠が必ずある。それを素人がくつがえせるなどという幻想は抱かない方がいい。



と主張していたところです。

山本氏には気の毒ですが、彼がこの章の冒頭部分で持ち出した「相対性理論」はアインシュタインがスイスの特許庁で審査官をやっていた時代にその基礎が構築されました。つまり、当時殆どの物理学者が支持していたニュートン力学の「絶対時間」や「絶対空間」といった概念を素人だったアインシュタインが覆したのです。

そもそも、山本氏のような考え方は科学の基本理念に反します。科学における真実とは、決してコンセンサスで決まるものではないからです。

何千何万人の科学者が支持している定説であろうと、科学的な検証で事実関係が確認されなければ、それはただの仮説に過ぎません。逆に、たった一人の素人が提唱した新説でも、科学的に実証されれば、それは真実です。科学的に実証されていなくとも、偉い学者大先生の多くが認めることならば真実と見做すべきというのでは、宗教と何ら変わるところがありません。

「『“環境問題のウソ”のウソ』のウソ (その2)」

 この批判は的を外していると思います。

 第一に、この文章で引用されている箇所には前があります。この段落をまるまる引用するとこうなっているのです。

 しかし、その分野の科学者が揃いも揃って同じ間違いを犯す可能性は小さいし、その分野でも、間違いを正すのは素人ではなく、たいていの場合はその分野の科学者である。大多数の科学者がある説を信じているなら、それなりのしっかりした根拠が必ずある。それを素人がくつがえせるなどという幻想は抱かない方がいい。

 「たいていの場合は」と書いているのだから、「たいてい」じゃない場合がある、ということを山本さんはちゃんと了承しているわけです。

 そして第二に、アインシュタインは肩書きでいえば「その分野の科学者」ではなかったかもしれないけれど、ここでいうところの「素人」でもないのです。

 なぜなら、ここでいう「専門家」「素人」とは、肩書きの問題ではないからです。この文章の1ページ前で、山本さんはこう書いています。

「素人の印象を信じるな。専門家の言うことに耳を傾けろ」
 ここで言う専門家とは、あくまでその分野のスペシャリストという意味である。「科学者」という肩書きであっても、専門分野以外の知識は素人同然という場合が多い。プラズマの専門家が必ずしもアポロ計画に詳しいわけではないし、精神科医が16世紀のフランス語の詩を読めるわけではない。本当にその人が信頼できる専門知識を持っているかどうか確認する必要がある。

 ここを読めば、山本さんのいう「素人」が、肩書きの問題ではなく、「その分野のスペシャリスト」ではないひと、「信頼できる専門知識を持って」いないひとであることは明らかでしょう。

 アインシュタインはそのころ肩書きこそなかったもの、当然物理の専門知識をもっていたでしょうから、「素人」ではないことになります。

 ようするに山本さんは「専門知識をもたない人間が専門家の間でのコンセンサスを崩すことなどめったにない」といっているだけなのです。間違えても「偉い学者大先生の多くが認めることならば真実と見做すべき」などといっているわけではありません。きわめて常識的な意見といえるのではないでしょうか。

 ちょっと山本さんが可哀想だったので、付記してみました。