- 作者: ジュールヴェルヌ,ジュール・デカルト・フェラ,Jules Verne,大友徳明
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作家ジュール・ヴェルヌの偉大さについては、いまさらぼくが解説するまでもない。かれはSF以前の作家ではあったが、最もすぐれたSF作家の素質を備えていた。
つまり、奔放きわまりない空想力と、緻密な上にも緻密な構想力を併せ持っていたのである。
本書『神秘の島』はそのヴェルヌの最高傑作。 最高傑作? こう書くと、すぐさま異論が飛んできそうだ。
『八十日間世界一周』を忘れたのか? 『海底二万マイル』は? 『月世界旅行』もあるではないか? たしかにそのとおり。ヴェルヌは多作の上に才能あふれるひとで、代表作だけでもいくつあるかわからないほどである。
しかし、それらの作品が魅力あふれるものであることを認めた上で、ぼくはそれらの上にこの『神秘の島』を置きたい。
たしかに『八十日間世界一周』はおもしろい。『海底二万マイル』は夢にあふれている。『月世界旅行』の予言性は恐ろしいものがある。ただ、それでもなお、この『神秘の島』には敵わないと思うのだ。
そしてまた、本書は一人ヴェルヌの最高傑作というだけでなく、いわゆる無人島ものの最高作でもあると思う。ぼくが初めて本書を読んだのは小学生のときだが、その頃からこの確信は揺らいでいない。
ヴェルヌの無人島漂流ものとしては、『十五少年漂流記』が有名である。『十五少年漂流記』! この作品の名前を知らないひとはいないだろう。知名度という点では、『ロビンソン・クルーソー』と並んで漂流記ものの双璧を成すといってもいい。
しかし、じっさいのおもしろさという点では、『神秘の島』が上回る。何しろ冒頭が素晴らしい。
時はあたかも南北戦争の時代、捕虜の身の上だった主人公たちは、囚われた町から何とか逃げ出す。そして、そのとき利用した気球に乗って荒れた海の上を漂流するのである。
折り悪しく歴史ののこるような大あらし、気球は破れ、ガスは抜けていく。何とか高度をたもつため、かれらは気球のなかにのこされたものを捨てていく。
金貨! 食糧! 道具! そして自分たちが乗っていたゴンドラそのものにいたるまで、保存しておけば役に立ったに違いないものが惜しげもなく海中に投じられる。
結果、かれら五人は無一物の状態で無人島に到着することになるのである。
ヴェルヌは書く。
ダニエル・デフォー*1やヴィース*2の小説の主人公や、ファン・フェルナンデス島に流れ着いたセルカータ*3にしても、これほど無一物に近い状態ではなかった。彼らは、座礁した船から、穀物や家畜、工作道具、弾薬など、たくさんの物資を取り出すことができたし、漂流物が海岸に打ち上げられたりして、生活に最低必要なものを手に入れることができた。つまり最初から、自然を前にして武器を備えていたのである。しかし、ここにはなんの器具もなかった。彼らはまったく無から出発しなければならなかった。
この文章を読めば、ヴェルヌが先人たちの作品に挑戦していることは歴然としているだろう。
おそらく、『ロビンソン・クルーソー』を読んだヴェルヌは思ったのかもしれない。手ぬるい、自分ならもっと過酷な状況から冒険を始めてみせる、と。
じっさい、この物語が始まったときの状況は絶望的といって過言ではないものがある。自然ゆたかな島とはいえ、その自然を利用するための道具はほとんど捨ててしまっている。
手もとにあるもので役に立ちそうな道具といえるものは、かろうじてのこっていたマッチが一本だけ。そのマッチを宝物のように扱いながら火を起こすと、もうほとんど何ものこされていない。
気球のなかの道具を捨てずに取っておけばどれほど便利だったことか! しかし、ないものはないのである。たしかにこれに比べれば、ロビンソン・クルーソーはずいぶん恵まれた状況から出発している。
しかも、ようやく苦労して起こした火も、あっというまに消えてしまう。絶望的状況! しかし、ここから人間の叡智の物語が始まる。
後年、ヴェルヌの作品はペシミズムに傾いたといわれる。しかし、この作品にはまだペシミズムの欠片も見あたらない。ここにあるものは、あくまでも、人間知性の賛歌である。
無人島にたどり着いた五人の漂流者のリーダーである技師サイラス・スミスは、シャーロック・ホームズも目を見はるであろう才能を発揮して、「リンカーン島」と名づけられた島に文明を築き上げていく。
サイラスをホームズに比べるのは、それほど無理ではないだろう。じっさい、この小説はミステリを思わせるものがあるし、サイラスは名探偵めいている。
ミステリとはいっても、もちろん、殺人事件が起こるわけではない。しかし、怪奇な密室殺人にも劣らない問題が次々と立ち上がり、そして解決されていくのである。
つまり、ひと気のない無人島でどのように生きのびていけば良いのか? いったいどうやって火を起こすのか? 動物をつかまえるのか? 位置をたしかめるのか? 冬をしのぐのか? そして脱出するのか?
それらの諸々の疑問はいずれもロジカルな回答によって報われることになる。
いかだを作り、あるいは弓矢を作るくらいのことは、ほかの小説でもやっていることだろう。しかし、粘土からレンガを生み出してかまどを作り、溶鉱炉を作って鉄を鍛える辺りになると、ヴェルヌの独創性が出てくる。
あたかも人類の歴史を短縮して反復するように、様々な発明が成され、無人の島に文明の火がともされて行くくだりは圧巻。
もっとも、奇妙な奇跡が起こらないわけではない。まず気球から落ちて死ぬはずだったサイラスが助かったことから始まり、島では時々好都合な出来事が起こるのだ。
どうも五人以外にも誰かがこの島に住んでいるらしい。しかし、かれは決して姿を見せない。救い主は何者なのか? そのなぞは最後までのこり、ヴェルヌの別の名作とリンクすることになる。が、未読の方の楽しみを殺ぐまでもないだろう。
それにしても、ヴェルヌというひとは演出力に長けた作家だと思う。かれはたしかにアイディアマンではある。100年あとにも名が遺るほど、そのアイディアはすぐれていた。
しかし、ただアイディアだけによって名を遺したわけではないことは、その作品を読めばわかる。あらゆる場面が非常に劇的なのだ。
このドラマティックは、リアリズムを重んじる現代の小説では尊ばれない要素かもしれないが、ぼくは好きですね。これこそエンターテインメントだと思う。
もっとも、サイラスたちがカンガルーやペンギンを初め、島の動物を片っ端から殺して食べながら文明を築き上げていく光景は、大人になったいまの視点で見ると、複雑なものがある。
平和に生きていた島の動物たちにとっては、サイラスたちの漂着は災難以外の何物でもなかっただろう。もちろん、生きていくためである。自然破壊など気にしても仕方がないときだ。
しかし、文明とは破壊と殺戮の上に築かれるものなのだろうか、と一抹の疑問が消えないのである。