イスラムと対立するもの。

ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か (岩波新書)

ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か (岩波新書)

 ここで注意しなければならないのは、西洋文明とキリスト教という宗教文明の関係である。イスラーム世界との共生が困難だという言説は、今日の西欧世界に広く流布している。日本でも、イスラームが世界の紛争の種になるのは、イスラームキリスト教イスラームユダヤ教の怨念の集積によるものだという説明を聞くことがしばしばある。
 しかし、宗教対立が根底にあるのだという説明では、現代世界で起きているイスラームとの緊張関係の原因を解明することはできない。イスラームが異議を申し立てている相手は、むしろキリスト教という宗教文明の規範から離れた後に成立した西洋近代文明なのである。スカーフ問題を見ればすぐにわかるように、衝突している相手はキリスト教会ではない。キリスト教と決別するために西欧で誕生した世俗主義とぶつかっているのである。

 なるほど!

 なぜ欧米とイスラムイスラーム)がああも対立しなければならないのか知りたくて読んだのだけれど、いや、この本はわかりやすかった。

 本書では、前半でヨーロッパの三つの国々、ドイツ、オランダ、フランスを取り上げ、それらの国々におけるイスラム教徒の扱いを語っている。そして、後半でイスラムとヨーロッパの共生の可能性を模索している。

 目からうろこの指摘は多い。イスラムの女性からスカーフを取り去ろうとすることは実はセクシュアル・ハラスメントにあたるとか。

 しかし、より重要なのはやっぱりヨーロッパとイスラムの対立の構図を解き明かしたくだりだろう。

 本書の内容を信じるなら、対立の理由はこうである。ようするに、問題は、自分たちの価値観が世界中どこでも通用すると思いこんでいるヨーロッパ人の傲慢にある。

 ヨーロッパ文明は、何百年もかけて近代化と政教分離を推し進めて来た。ドイツの反省、オランダの寛容、フランスの自由と平等と博愛(本書によるとこの「博愛」とは本来、「同胞愛」という程度の意味らしい)。

 それらの価値観はたしかに素晴らしい。だから、ヨーロッパ人は文明が「進歩」すれば、どこでもこれらが通用するようになると思いこんでいる。

 しかし、じっさいに、イスラムの人間には通用しない。なぜなら、それらヨーロッパの近代的価値観が世俗化を是とする啓蒙主義の上に成り立っているからである。

 一方のイスラム文明が「神」と「人間」の関係に絶対の価値を見出している以上、彼我はどうしても相容れない。

 これがヨーロッパ人にとっては苛立たしい。何しろ、自分たちが営々と築き上げてきた偉大なる文明の証、人権思想やら民主主義やらが全く理解してもらえないのだから。この無知な後進国の連中め、となる。

 ところが、同じことをイスラムの側から見ると、ヨーロッパ文明の押し付け、イスラムに対する差別と迫害に見える。どうしようもない誤解と偏見を抱えながら二つの文明はすれ違っているのだ。

 と、こう聞くと、すわ「文明の衝突」か、と早合点したくなるところだが、著者はその説を採らない。

 かれは書く。「文明どうしは衝突するわけでもないし、対話するわけでもない。衝突も対話も、人間どうしのあいだにしか発生しないのは自明のことであろう」と。

 そして、ヨーロッパに対しイスラム側が抱える不満をひとつひとつ解き明かしていく。

 具体的なことはここには書かないが、そのくだりを読んでいると、やはり最大の問題は「対話」の不足にあるのではないか、と思えてくる。

 お互いにお互いの話を聞かず、ただネガティヴ・イメージだけをふくらませていってしまうこと。それが最大の問題なのではないか。

 これ、別にイスラム問題にかんすることだけじゃないよね。とにかく、知らないものをメディアの情報だけで知ったつもりになってしまうことは危険だ。

 会って話を聞いてみればただのひとでも、メディアを通してみると怪物に見えることがある。否、怪物とは古来メディアによって作り出されてきたものなのだろう。

 最高の対策は、とにかく、相手の話を聞くということに尽きる。しかし、これがいちばんむずかしいのだろう。長年ネットをやっているとしみじみとわかることである。