動物園に何ができるか。

動物園にできること (文春文庫)

動物園にできること (文春文庫)

 ぼくにとって3冊目の川端裕人。いままでの2冊に負けず劣らずおもしろかった。

 今回のテーマは動物園。それも、川端がニューヨークのコロンビア大学に研究員として訪ねまわったアメリカの動物園である。

 まず、前半では、動物園巡りの様子が綴られる。日本の動物園しか知らない者にとって、その描写は圧倒的なものがある。

 たとえば、ニューヨークのブロンクス動物園では、「ランドスケープ・イマージョン」という展示が試みられている。

 その敷地は広く、動物と人間とへだてる檻はない。動物と人間のあいだは堀でへだてられていて、そしてその堀は巧妙にかくされていたり、自然の池のように見せかけられたりしているのだ。

 ユキヒョウの住むヒマラヤ、ゲラダヒヒの住むエチオピア高原、ライオンの住むサバンナなどがニューヨークに再現され、展示そのものが「見世物」と化している。

 この「ランドスケープ・イマージョン」は「動物園デザイナー」のジョン・コーによって理論化され、実践され、現在、全米の動物園に広がっている。

 あるいは、その「ランドスケープ・イマージョン」を「クソッタレ」だという男、ジョン・フレイザーの勤めるメトロワシントンパーク動物園では、「テーマパーク・アプローチ」と呼ばれる手法が試みられている。

 「動物園はただ自然を切り取って、見せるだけでなく、自然体験が圧縮された場所であるべきだ」という信念にもとづき、さまざまな「仕掛け」をほどこしたアプローチ。

 ひとつの展示をひとが通っていく時間をあらかじめ計算し、そのペースで歩くひとがあるひとつのストーリーに即して次々と「仕掛け」に遭遇するように設計してあるのである。

 ほかにも、無数の個性的な動物園が紹介されていく。川端は例によってニュートラルな立場からクールに紹介しているのだが、その文章の端々からかれの興奮が伺える。一読すれば、「行ってみたい!」と思うこと間違いなし。

 しかし、やがて、かれの鋭い観察眼は、アメリカの動物園の抱える矛盾を見抜いてしまう。

 いかに高邁な自然保護のメッセージを掲げていても、その「自然」を維持するために膨大なエネルギーをそそぐ姿勢そのものが、アメリカの物質主義文明そのものではないか。

 そこで、この本の後半では、一転して「動物園にできること」、つまり現代の動物園が抱える使命について考えていく。

 動物園の使命とは何か。それは「種の箱舟」となることである。現在、多くの野生動物が絶滅に瀕していることはだれでも知っていることだろう。川端は、動物園にそんな動物たちの生命を保存する能力を見、その視点からこの組織を切り取っていく。

 動物園とは、どれほど巨大な施設であっても、自然とはかけ離れた環境を作って動物を閉じ込める方法にほかならない。その行為は、当然、動物に一定の犠牲を強いる。いわば動物園の「原罪」である。

 この「原罪」をつぐなうに足るほどの「何か」が動物園にはあるのか。川端は慎重に検証していく。

 かれののジャーナリストとしてのセンスが炸裂するのは、何といっても第13章だろう。それまでの12章で、さまざまな角度から動物園の内実が語られた。

 しかし、かれはみずから自分に動物園を正当化したいという欲望があることを認め、「この本のなかで展開した議論は、すべてそんなぼく自身と情報提供者の双方によるバイアスがかかったものだ」と断言する。

 そして、動物園にとって最も恐るべき「他者」である環境活動家とアニマルライツ活動家に連絡を取り、かれらといっしょにブロンクス動物園を歩くのである。

 ものごとを可能なかぎり複数の視点から眺めようとする冷静な視点がここにある。これ、と学会あたりに欠けているものだよなあ、と思うんですけど。ぼくも見習いたいところ。

 そして最終章「ぼくたちの動物園」では、日本の動物園への提言をのこして終わる。どこか遠くの世界の物語が、ぼくたちの日常と接地する瞬間だ。

 結論。文句なしの名著である。動物好きの方にオススメ。いままで動物にも生物にもあまり興味がなかったぼくだが、どうも気が変わってきた。次は環境保護の本を読んでみよう。