むなしさのカタルシス。

エロゲにおいて美少女が絶対の存在でないなら、なぜ美少女は必ずそこにいるんでしょうか? 私は神=その人の価値観、というたとえでは言っていません。

美少女そのものは、価値観といえるほどはっきりした主張がない(ことが求められる)にもかかわらず、つねに存在し大きく扱われ、「この作品はこの美少女で好きに遊ぶためのオモチャです」というサインになる。

そして、サインを了解した人だけが、お約束の世界で楽しんでいる。たしかに、神というよりはなにかの象徴、都合のいい救世主といったほうがより正確かもしれません。救世主と神はわかちえない部分もあると思いますが、それはさておき。

なぜ美少女のサインが必要なのか。そこにアニメ絵の美少女が描かれているといないでは何が違うのか。「男が可愛い女の子を好きなのは当然でしょう」以外の答えはそこにないのか?

もしもなければ、あるゲームがどれだけ傑作といわれても、それは「当然」という感覚の共有、底上げがあっての傑作であり、閉じた同志のなかでしか通用しない評価のように思うのです。私がむなしさを感じるのはそこです。

R-TYPEさんがコメントで指摘されているのは、私の考えていたとおりのことです。「エロゲはしょせんエロゲ」という言い方は私もきらいです。だから、美少女なんて、萌えなんて、受けなんて攻めなんて捨ててしまいたい。

「すべてがそうじゃない、一部を見て全部を語るな」と、海燕さんはまたおっしゃるかもしれません。それはそのとおりです。

でも、多くの人に伝わることのたいせつさをいっぽうで主張されるのなら、多くの人に伝わっている「エロゲ=萌えヲタのための美少女玩具」という認識と、正面から向き合う必要もあるのではないでしょうか。長文ごめんなさい。mより

 うん、たしかにぼくもエロゲなんてただのオタクのおもちゃだと思います。その点を否定するつもりはない。その意味で、エロゲには限界がある。

 ぼくがいくらすごい、素晴らしいといっても、興味がないひとにとってはただの下らない幼稚な、あるいはおぞましい代物に過ぎないでしょう。その意味で、エロゲは、あるいはやおい、BLも、「むなしい」。

 しかし、それは一つエロゲだけが、あるいはBLだけがむないいのではなくて、およそ文化と呼べるものはどれもこれも皆、むなしいものだと思うのです。逆にいえば、それがぼくの文化の定義になるのかな。

 どんなに偉大な、ぼくにとって偉大と思える作品であっても、興味がないひとにとっては全く無意味な代物に過ぎない。ぼくはこのサイトを通じ、日々それを実感しているんですけどね。

 たしかに、エロゲは基本的には女の子が出ていなければ成立しない世界ですが、しかし、それをいうなら、『ドラクエ』でモンスターを倒すことに何の意味があるでしょうか? 悪の魔王を打倒しなければならならない理由とは何でしょうか?

 ただそれがおもしろいから、そうではありませんか? 文化とは、どれも皆、ただ綺麗なだけ、ただ美しいだけ、ただおもしろいだけ、それだけのものだと思うのです。

 その意味で、文化はむなしい。テレビゲームを何十時間、何百時間とプレイしているとき、何ともいえないむなしさを感じたひとは少なくないと思います。

 しかし、ゲームの面白さはそのむなしさと裏腹の、決して切り離せないものだということも事実。むなしいから、おもしろい。無意味だから、楽しい。

 その意味で、どんな文化も対等だとぼくは信じます。エロゲがむなしいとしたら、ほかの文化もむなしいのだし、ほかの文化がむなしくないのだとしたら、エロゲもむなしくない。

 ただ、品質の良し悪しというものはありえる。エロゲは全般的に品質が低い、という話なら、ぼくは耳を傾ける準備があります。ま、おおむね事実ですね。

 しかし、エロゲには限界があるからむなしい、という話は納得出来ません。エロゲじゃなくても同じだと思うからです。

 ええ、エロゲはただの「萌えオタのための美少女玩具」です。その通り。しかし、この世のいったい何がその玩具より偉いというのでしょうか? この世にそんな文化があるでしょうか?

 ないと思うんですよね。ぼくは。国民文学も大作映画も、やはり皆、興味がないひとにとっては全く無意味なものに過ぎず、その意味では「むなしい」ものであるように思える。

 たしかに世間では、世の中には偉い文化、むなしくない文化、社会的に意味がある文化というものが存在する、と看做されているように思います。

 しかし、ぼくはそのことを信じない。ぼくはいままで主流文学の名作も、ノーベル賞を受賞した作家の作品も読んできました。

 しかし、それでもなお、そういった文化が「むなしくない」とはやはり思えない。ただし、そのむなしさを忘れさせるほど品質が高い作品が存在するということは信じる。

 ただ、それは一個の芸術作品として高品質であるというだけで、それ以上の社会的価値がある、とは信じない。また、仮に社会の役に立つことがあるとしても、それがその文化にとって本質的なことだとは思わない。

 むしろ、社会的に無用であり、無意味であるからこそ、文化は偉大なのだ、ということがぼくの考え方です。

 ぼくにとっては、もちろん個人的な好き嫌いはあるにしろ、主流文学もエロゲもやおいも百合も対等。しかし、その上で、最高の文学作品を、エロゲを、BLを、百合を、期待したいと思う。

 ある条件を満たしていれば質は低くてもかまわない、とは思いません。もっと上手く、もっとかっこよく、もっと可愛く、もっと深く、もっと激しく、もっと、もっと!

 そう、オタクのおもちゃで十分です。それ以上のものは望みません。ただ質が低いおもちゃには我慢できない。時にはそれで遊ぶこともあるにしろ、基本としてはより上質のものを望みたい。

 ぼくはそれほどに欲が深い。そして出来うるなら、ほかのひとにも欲深であってほしいと望んでいます。そうでなければその文化は質的に堕落するでしょうから。

 もしだれかに、「エロゲなんてたかが萌えオタのおもちゃじゃないか」といわれたら、ぼくは「そうだよ。でも、なかには素晴らしいおもちゃもある」と答えることが出来ます。

 もし、あいてがそれに反対するとしたら、そのときこそ議論が始まるでしょう。