- 作者: 川村湊
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2001/12
- メディア: ペーパーバック
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『日本の異端文学』。
物々しい題名ではあるが、中身は意外に読みやすく、わかりやすい。分量が物足りないことが唯一の不満である。
もっとも、だからといってだれ彼かまわず薦めるわけにも行かない。この本で語られている作品はいずれも、文学は文学でも「異端」の文学、血とバラ、怪奇と幻想、人外と怪物の物語にほかならない。
尾崎紅葉『金色夜叉』、泉鏡花「高野聖」を嚆矢とし、国枝史郎、小栗虫太郎、中井英夫、澁澤龍彦、山田風太郎、江戸川乱歩、夢野久作、小栗虫太郎、橘外男、中山介山、渡辺温、尾崎翠、団鬼六と続く、絢爛たる、しかし、いかがわしくも妖しげな血脈。
著者は書く。
二葉亭四迷の時代から、「文学」などにうつつを抜かすということは「くたばってしまえ!」(二葉亭四迷のペンネームの起源)と親に罵られるようなことだったのだが、近代文学が「正統」あるいは「正当」なものとして、学校教育や文学教材として認証されるようになってからも、世間にはまだいかがわしい「小説」や「読み物」の類、すなわち「文学」という高級でハイカラな名前にふさわしくない、草双紙の流れを汲むような「稗史小説」の類はたくさんあり、それが日本では「異端の文学」というジャンルを形作っていたのである。
そしてまた、
「異端文学」とは、文学それ自身(の有用性や社会的評価)を白眼視する文学である。文学なんてそれほどのものかよ、という罰当たりな言葉を呟く、「文学」の中の異端児なのである。
日本文学という名門の、認知されざる私生児。しかし、その内容が異端であり、異常であるからこそ、異端文学は「正統」の文学に飽き足らない人々を惹きつけて止まない。
ぼく自身、灯に惹かれる虫の一匹だが、それでも未読の、いや、書店で売られているところすら見たことがない作品すら少なくはない。
何しろ、異端文学の黄金時代は既に遠い。半世紀におよぶ泰平のなかで、闇はすっかり駆逐されてしまった。もはや、世界のどこにも魔境はない。人外の怪物が安心して(?)徘徊できる時代ではない。
しかし、どれほど社会が平和と繁栄を謳歌しようとも、ひとの心から闇が消えることはない。そしてその暗闇が在るかぎり、異端文学の血脈は、「正統」と絡み合いながら、蜿蜒と続いていくことだろう。