世界がクラッシュするとき。

クラッシュ [DVD]

クラッシュ [DVD]

 『クラッシュ』。

 受賞を確実視されていた『ブロークバック・マウンテン』を退け、第78回アカデミー賞を受賞した名作である。

 と、そう書いたら、あなたはこの映画に興味をもってくれるだろうか? だめ? アカデミー賞には何度も騙されている? あ、そう。ごもっとも。

 じゃ、こう書くことにしよう。映画における暴力やセックスなどの「下品な表現」を調査する保守的な映画監視団体が、その年の最も低俗な作品として選んだこの映画を選んだらしい、と。

 この記事によると、この映画における卑猥な言葉は182語、暴力は62回、性的描写は16回に上るとか。

 どうだろう、興味をもってもらえただろうか? 理由は何でもいい。ぜひ、この映画を見て、そして打ちのめされてほしい。これはひとの心を強く揺さぶる種類の作品であり、そして、人生にはときに、そうやって打ちのめされる経験が必要だと思うのだ。

 映画の舞台は「人種のサラダボール」ロサンジェルス。物語は突然のクラッシュ(事故)から始まり、クラッシュに終わる。

 メッセージは明らかだ。いまこうしているあいだにも、この街ではたくさんの人々がクラッシュ(衝突)しあい、怒りと憎しみを募らせあっているのだ、と。

 物語は、特定の人物を主役に仕立てることなく、いくつもの人生を平行して描いて行く。

 白人に憎悪を募らせる黒人の二人組、自衛のために銃をもとめるペルシャ系の男、横柄な同僚に反感を募らせる警官――だれもがだれかを差別している。

 しかし、それでいて、絶対的な悪は存在しない。ある視点で見たときの加害者は、別の視点で見れば被害者である。あるとき悪辣に見えた男は、異なる見方をしたとき、重い人生を抱えて生きていることがわかってくる。

 そのことが最も象徴的に表れているのは、差別主義的な白人警官ライアンと黒人女性クリスティンのエピソードだろう。

 あるとき、彼女が乗った車を停めたライアンは、夫が見ている前でそのからだをまさぐる。それだけなら、「白人」で「警官」の「男性」が、「黒人」で「一般市民」の「女性」にハラスメントしたという、わかりやすい図式に見える。

 しかし、かれのその態度にもそれなりの理由がある。ライアンはからだの具合が悪い父親の面倒をひとりで見ており、その父親は政府の黒人優遇措置のあおりを受けてすべてを失ったのである。

 やがて、運命のいたずら、ライアンはふたたびクリスティンとめぐり会う。そして、いままさに炎に包まれようとしている自動車のなかから命懸けで彼女を救出する。

 ここで描かれているものは、たしかに人種差別の構図である。しかし、もはや白人と黒人の対立項にすべてを収斂させて考えられるような単純な図式は存在しえない。

 冷酷非情、悪魔のような差別主義者、そんなものはどこにもいない。すべての人種は平等だ、差別してはいけない、長い歴史をかけて培われてきた平等思想は一応は社会に浸透し、人びとはその理想を信じてはいる。

 しかし、ひとたびクラッシュが起こると、その理想は一瞬で消し飛び、はてしない憎悪の連鎖が始まる。

 奇麗事の理屈が浸透した社会で、それでも消える気配が見えない差別と憎悪。それはまた新たなる悲劇を生みつづける。そしてそれは津波のように激しく、最も弱い立場のものに襲いかかる。

 長年守ってきた店を荒らされ、ヒスパニックの錠前屋ダニエルに逆恨みを抱いたファハドのエピソードは印象的だ。憎しみに駆られたかれは、誤ってダニエルの幼い娘を撃ってしまう。

 世界が張り裂けるような一瞬――しかし、その瞬間、奇跡が起こる。かれの父親が彼女に着せた「見えない妖精のマント」が、彼女の身を守る。

 もちろん、この映画はファンタジィではない。その奇跡のような出来事が、実はある偶然の産物であることが、映画を見る者にだけはわかる。

 そして、絶望の果てにほのかな希望を描き出して映画は終わる。重苦しく、衝撃的な、しかし、どこか優しくあたたかい映画である。必見。