屈辱と歓喜と真実と―“報道されなかった”王ジャパン121日間の裏舞台
- 作者: 石田雄太
- 出版社/メーカー: ぴあ
- 発売日: 2007/02
- メディア: 単行本
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ワールド・ベースボール・クラシックの裏側を綴った名著。野球好きのひとは読みましょう。野球好きでなくても、熱い男のドラマが好きなひとは読みましょう。
裏面の事情を百も承知で監督を引き受けた王貞治、熱く感情をあらわにしながら日本を率いるイチロー、快投をつづける上原や松坂、イチローに懐く青井、川崎、今江たち、縁の下でチームを支える宮本、最高にかっこいい男たちの姿がここにある。
王貞治は語る。
「この大会がアメリカ中心なのはわかってるよ。MLBが勝手に進めたとか、商業主義だとか、そういうことも聞いている。でもやると決まって、日本が出ると決めた以上、勝たなきゃならん。僕だって喜んで引き受けた訳じゃないけど、誰かがやらなきゃいけないんだから、『日本のために、日本の野球のために、オレがやるしかないだろう』ということだよ」
日本のために。
日本の野球のために。
老いてなお衰えることを知らない使命感が、名将を突き動かす。だが、そんな王のまえに過酷な現実が立ちふさがる。
2006年12月9日、日本代表30名のうち、29名が発表される。松坂やイチローを初めとするそうそうたる面子がそろっていた。
しかし、あの男の名前がない。松井秀喜。王はかれのために30番目の椅子と、そして4番のポジションを空けていた。ところが、大会直前になって、松井はその椅子を蹴る。王貞治のドリームチーム構想は、この時点で挫折した。
そこからもさまざまな苦闘が待ち受けていた。相次ぐ脱落、無数のトラブル、チーム分裂の危機、選手の足をひっぱるコーチたち、そして信じがたい誤審。
アメリカ戦の審判をアメリカ人が努めるというアンフェアな状況での誤審により、日本代表は敗れた。そこで何もかも終わってもおかしくなかった。
しかし、ご存知のとおり、その屈辱を乗り越え、日本代表は勝利と歓喜にたどり着いた。その全過程がここには記されている。
日本にとっては最高の結果だろう。そして、アメリカにとっては最悪の結果だったに違いない。誤審に助けられたあげくの予選落ち。世界最強のプライドは地に落ちた。
そして、日本代表が決勝のグラウンドでたたかうことが出来たのも、メキシコがアメリカを破ってくれたおかげである。
アメリカと韓国に続けざまに敗れたとき、本来なら日本のWBCはそこで終わるはずだった。しかし、メキシコが脅威の快勝で日本に決勝進出をプレゼントしてくれたのだ。
そのとき、王貞治はサンディエゴの中華料理店で食事会を開いていた。その席にはテレビがなく、カウンタから少し離れたテレビのところから、だれかが途中経過を伝えてくる。
そのときたまたま同じ店にいた客たちは、大声でメキシコを応援する王たちから事情を聞き、いっしょにアメリカの敗北を祈ってくれたという。かれら自身はアメリカ人であるにもかかわらず。
ひとの思いは国籍を超える。日本を代表する野球選手であり、いまは日本代表の監督でありながら、日本国籍をもたない王貞治の胸に、そのとき、どんな思いが去来したことだろう。
そして、信じられないことに、メキシコは勝った。このときの宮本を本書はこう記す。
「もしかして、これは準決勝に行くよな……でも、イヤ、待てよ。まだわからんぞ、ルールを変えるかもしれないからな」
笑い話でも冗談でもない。
宮本は、マネージャーに確認した。
「これ、ルール、変わらへんやろな」
「変わりませんよ」
「本当か? 失点率が得点率になりました、なんてことはないんやろな」
「イヤ、間違いないです」
「本当に行けるんか、本当か」
直前のアメリカ戦における「世紀の誤審」に、宮本がどれほど不信感を募らせていたか伝わってくるエピソードだ。
そして、もちろん、ルールは変わらなかった。このさきのことはあらためて語るほどのこともない。日本は、いくたびもの敗北を越え、さいごには優勝を手にしたのである。
日本人にとっては実に気分いい展開だ。しかし、ここでぼくは、あえて日本から視点をはずして考えてみることを提案してみたい。
メキシコは、いうまでもなくアメリカの隣国だ。毎年、かずしれない人びとが国境を越えてアメリカに入る。
ブッシュ政権は、現在、不法移民の入国を阻止するため、670マイルにおよぶ国境分離柵を建設している(2008年完成予定)。ベルリンの壁ならぬアメリカの柵。
アメリカからこういう扱いを受けるメキシコの代表選手たち、かれらがアメリカに対して抱く思いは、おそらく日本代表よりもっと複雑なものがあるだろう。
そのメキシコ代表が、国際試合の桧舞台で、アメリカを倒した。そして、そのことによって、日本は韓国とたたかい、打ち破ることが出来た。この事実はいろいろなことを示唆している。
そして、決勝のあいてはキューバだ。カストロによる革命で独立したキューバに対し、アメリカは現在も経済制裁を行っている。
その制裁を理由に、キューバがこの大会に出場できない可能性も高かった。しかし、キューバは山積みの問題をすべて乗り越え、決勝まで進出して日本とたたかった。
結果として敗北はしたが、かれらの側のドラマも、日本代表に負けず劣らずのものがあるに違いない。
あるいは、韓国はどうだろう? 2度にわたって日本に勝利しながらさいごには敗れ去った韓国代表。おそらく、韓国の野球ファンには、納得しがたい思いを抱えたものも多いだろう。
もし、立場が逆なら、日本の野球ファンが素直に納得したとはとても思えない。韓国代表にも、さまざまな物語があるはずだ。
日本が優勝した第1回WBC、それはアメリカが主導し、アメリカの利益と栄光のために開かれた大会だった。しかし、結果としてかがやいて見えたのは、アメリカ以外の国々だった。
何十年もの月日をかけ、世界の野球は、アメリカに追いつこうとしている。この大会が示したことは、そのかがやかしい事実だったのではないだろうか。
「日本の野球が世界一だ」と誇ることも良いが、ほかの国々にも目を向けてみれば、もっといろいろなものが見えてくるだろう。
すべてが終わったあと、少年のようにはしゃいで勝利に酔うイチローの姿を、カメラは何度も捉えた。
精密な打撃機械、クールな個人主義者、近寄りがたい天才肌の男、そんなイチローのイメージは、この大会を通じて、粉々に砕け散った。
だれよりも勝利を喜び、だれよりも敗北を悔しがる、ひとりの野球小僧の姿がそこにはあった。沈着冷静な顔の裏側に、マグマのような情熱が渦巻いていたことを、多くのひとが初めて知った。
決勝戦の試合後、風のいたずらでふたりを包み込んだ日の丸のなかで、王はイチローにこうささやいたという。
ありがとう、君のおかげだ。
このひと言で、すべてが報われた気がした、とイチローは語る。
ばらばらのチームをひとつにまとめあげ、王監督を胴上げし、孤高の男は自分の仕事場へと帰っていった。テレビ画面に映るその後姿は、少しだけ寂しげに見えた。
日本で、そしてアメリカで、かず知れぬ記録を為し遂げ、天才といわれつづけた男の、あまりにもセンチメンタルな顔がそこにあった。
というわけで、非常におもしろいので、読みましょう。