血と霧のヴィクトリアンロンドンへようこそ。

黒博物館 スプリンガルド (モーニング KC)

黒博物館 スプリンガルド (モーニング KC)

 『黒博物館スプリンガルド』。

 『うしおととら』、『からくりサーカス』と、合計70巻以上にも及ぶ巨大連載を完結させた藤田〈少年漫画家和日郎の新作である。

 正直、『からくりサーカス』は途中で投げ出しちゃったんだけれど、この作品はおもしろかった。

 ま、「あいかわらず」の内容ではあるのですが、時代背景を退廃のヴィクトリアン・エイジに持ってきたことが成功している。

 タイトルの「スプリンガルド」とは、ヴィクトリア女王治世の初期に現れた「バネ男ジャック」のこと。

 もとネタは怪談好きのロンドンっ子たちのあいだではやった都市伝説らしいが、この物語ではちゃんとその「バネ男」が登場し、「活躍」する。

 両足に巨大なバネを付け、空を翔けるように飛び跳ねるなぞの怪人。3年前に現れたときには、ただいたずらして去っていくだけだった。しかし、今回はうら若い女性の肌を切り裂き惨殺した……。

 スコットランド・ヤードの名物警部、「機関車男」ジェイムズ・ロッケンフィールドは、犯人に心当たりがあった。

 イングランドアイルランドに広大な領地をもつ大貴族! ウォルター・デ・ラ・ボア・ストレイド侯爵だ。

 若さと美貌と財力をもてあまし、乱痴気騒ぎをくり返しては、そのたびに話題をさらう英国一の歌舞伎者。

 3年前の「バネ足ジャック」は間違いなくこの男。しかし、かれが「バネ足」をやめた裏にはどんな事情がかくされているのか? そして、いったい何のためにいま、また、ロンドンへ戻ってきたのか?

 あらゆる犯罪の証拠物件がそろう「黒博物館」に収められた「ジャック」の「バネ足」は、あなたを怪奇な冒険へといざなう……。

 藤田和日郎の作品には、その初期作品から、倒錯と退廃の影がただよっている。少年漫画の王道を往く骨太の物語の影に、何か妖しいエロティシズムが感じられるのだ。

 それはこのような中短篇では、よりいっそうはっきりと表に出てくる。

 しかも、ときは偽善と退廃のヴィクトリア朝! きびしいモラルが社会を管理し、その影であらゆる背徳が栄えた時代。世界中の富が英国に集まり、貴族や豪商が富貴を楽しむ一方で、貧民は食うものも食えなくなったウルトラ格差社会

 住んでいる人間にとっては大変でも、あとから眺めるぶんには恐ろしく魅力的なその時代だ。あの「切り裂きジャック」が活躍?したのはこれよりあとの時代だが、かれを生み出したロンドンの闇は既にここにある。

 そこに藤田和日郎の少年漫画美学が絡めば、これはとびっきりの物語が出来るに決まっている。善と悪、光と闇が妖しくからみ合う不思議な物語世界……。

 今回は、心に闇を抱えたニヒルな主人公がいい。惚れた女に思いも告げず、ただ軽口に真意をかくし、彼女の幸せ守るため、陰でたたかう男伊達。霧の都をさっそうと翔ける、バネ手バネ足のシラノ・ド・ベルジュラック

 デカダンでエロティックな冒険物語を読みたい方にはお奨め。まるでぼくのためにかかれたような漫画だなあ。