- 作者: 中村春菊
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2003/05/01
- メディア: コミック
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BL漫画。
深夜営業の書店にDVDを返しにいったら、目に付くところに平積みされていたので、何げなく購入。
既刊8巻で200万部も売れているというとんでもない人気シリーズで、じっさい、わりとおもしろかった。
第1巻の時点では絵柄の雑さが気になって仕方なかったんだけれど、第3巻まで行くと嘘のように洗練されている。
ほかの漫画もかいているのかもしれないけれど、巧くなる速度がすごいなあ。ちょっとびっくり。
1冊の本のなかに、東大法学部主席卒業の売れっ子BL作家(いくら漫画とはいえもう少し遠慮しろ)と大学生の同居生活を描く「純情ロマンチカ」と、かれの幼馴染みを主役にした「純情エゴイスト」が併録されている。
となると、どう話がリンクさせて来るのかと期待してしまうけれど、第3巻まで読んでみたところではあまり絡んでいないですね。1冊の本に収録している意味あるのだろうか。
ま、ことさらに論じるほど特別な内容があるわけでもないので、話の中身には触れません。というか、話らしい話があるわけでもないんだよね。
こういう作品を読むと、「物語」とは、「関係性」の延長線上に自然に生まれてくるものではないのだ、と改めて思う。
ある人物と別の人物が出逢えば、そこには何かしらの関係性が生じる。BL漫画なら、ふたりの男性が出逢って、そこに愛情が生まれるところから始まることが多いだろう。
で、十分にキャラクタが立っていれば、そして作者に漫画力があれば、そのふたりの絡みを描いているだけで、けっこうおもしろいものが出来上がったりする。
しかしまあ、それだけじゃさすがにいずれ話は停滞しはじめる。そのときはあらためて新キャラを投入すればいい。
そうすれば、また新しい関係性が生まれ、新しい展開へ進むだろう。でも、そういうことを何話、何巻続けても、「物語」のダイナミズムには到達しない。
そこには、作品全体をある目的に沿って構想し、構成し、構築するグランドデザインが欠けているのだ。
ただ個人や関係性を追うだけでなく、ある目的を設定して、その目的に沿うよう展開を構成して、初めて「物語」は生まれる。
そうやって物語を形づくる能力、それが即ち「構成力」であり、その能力に秀でた作家こそが、「物語作家」と呼ばれる。story tellerだ。
そういう作家の作品は、ただ個人の関係性を追ったものとは歴然と違う。
でも、とぼくは思う。なぜ物語性がなければならないと思うのか? 個人の関係性だけで読者を惹きつけられるならそれで十分じゃないか? 何か物語がないと悪いことでもあるのか?
たぶん、何も悪くない。結局のところ、それで良しとする読者がたくさんいるのなら、ビジネスとして十分に成り立つのである。
そこには普遍的なドラマツルギーがないから、閉鎖された読者層の外の評価を得ることは出来ないだろう。しかし、BL漫画なんてものは、そもそも「外」の評価を必要としないものだ。
かっこよくて、かわいくて、萌えて、エロくて、時流に合っていれば、それで十分だと思うひとだけで商売は成り立つ。ノープロブレム。
どうせそのジャンルが好きなひとしか買わない代物、そのひとたちに受け入れてもらえればそれでいい、そういう考え方もあるだろう。
ただ、どんな作品も、作風も、必ず古くなる。問題が生じるとすれば、そのときだと思う。時が過ぎれば、熱狂的な読者も酷薄につぎの流行に移っていくものなのだから。
10年、20年が経ち、時流から離れたとき、なお、ひとを惹きつけることが出来る作品、それが本当の名作なのだろう。
で、その名作の高みを目指そうとする野心、それが「志の高さ」って奴なんじゃないかな。
ま、めったにないからこそ名作なんだけれどね。