メールへお返事。


 一通。

 いつも楽しく拝見させて頂いています。はてなユーザーではないためこちらで失礼します。

>亀田

 まあ本当に切腹して欲しいと思っている人はごく少数でしょう。「切腹しろ」というのは「本当に切腹するのか? 自分で言い出しておいて、できないだろ? 早くその事を認めて頭を下げろよ」の意でしょう。

 みんな亀田が負けを認める姿が見たいんだと思います。「切腹」は分かりやすいから言ってるだけで。

 ぼくもまさか本気でいっているとは思いませんけどね。本気だったら怖すぎる。

>Kiss X sis

>この男が何で悩んでいるのかわからん(笑)。

自分の恋愛対象じゃない人から迫られたら(しかも強烈に)戸惑うと思います(笑)。極端な話、異性愛者が同性から迫られるみたいなもんでしょう。

 でも、あれ、明らかに弟のほうもお姉ちゃん大好きじゃないですか。それなら素直になればいいのに、と。いや、素直になったらエロ漫画直行なんですけど(笑)。

 余談ですが、この手の、表紙が漫画になっている本は紹介しやすいですね。Amazonの画像を拡大して載せれば内容がわかる。もっとこういう作品増えないかな、と思ったり。

 もう一通。

はじめまして。

”書評サイトは作家の敵か?”を読んだ後で”正義か、寛容か。”を読んで何とも言えないもやもやしたものを感じたのでコメントをさせて頂きます。

亀田家はこの日本の国民性において「批判されること」をやってきたので 当然「社会正義」をかざして押し寄せる人達の制裁を受けないといけないと思います。

”好ましい事実ではないにしろ、じっさいそうなんだから仕方ない。ぼくたちの社会はその道を選んでしまった。”からです。

その先にある選択肢は今後は態度を改めて批判をされにくい言動・試合を行う「適応か」、ライセンスを返上して批判を受けないような余生を送る「脱落」かだと思うのですよ。

下のコメントにある「軽い気持ちで言ってるんでしょうけど、言われる方はたまったもんじゃない。言ってる人は考えないのかな」とおっしゃられてる方がいますが、ネット上の書評は言われる側のことなんか考えませんし、こちらでもそれを「仕方ない現実」とおっしゃられてます。

批判にさらされた作家は適用か脱落かというある意味で生死の二択の論調に対し亀田家には寛容と言われると何か居心地の悪さを感じます。

書評にしろ切腹コールにしろ自分が正しいから裁くという感覚は根が繋がってると思うのです。そんな時代を”匿名での批判、揶揄、罵倒を封印することは出来ない。そんな社会だから仕方ない”と諦めてしまうのは何だか息苦しい世の中だなと私は感じてます。

個人的には誰に対しても寛容である社会が理想なのですけど、 ある一方には酷な現実を突きつけ、ある一方には寛容というダブルスタンダードを見てしまうとそんな世の中は永遠に理想なのかなと思う次第です。

 ダブルスタンダードだとは思いません。

 ぼくが「才能はあるのに、神経が細すぎて潰れていく作家もいる」ことを「どうしようもないこと」と書いたのは、現実的に止める方法がない、という意味です。

 良いことだとも思わないし、望ましい展開だとも考えない。ただ、現在のシステムがそういうことを許容している以上、阻止する方策はないだろう、と。

 ぼくは、2ちゃんねるニコニコ動画で作家への罵倒が飛び交うことを正しいことだとは思わないけれど、それを止める方策があるかといったら、ない。

 だから、作家側の対策としては、適応するか、退避するかしかないと思う。「格差社会は良くない」と叫んだところで給料が上がらないことと同じで、「罵倒するな」と叫んだところで罵倒は収まらない。理不尽だけれど、それが現実。

 さて、それでは今回の場合はどうか? 今回もネットに批判、非難、揶揄、罵倒、冷笑その他があふれることを止めることは出来ないし、止めるべきだとも思いません。

 また、会場で「切腹コール」が起こることも、TBSに「切腹しろ」という電話が寄せられることも、止めることは出来ないでしょう。だから、亀田大毅がそれに適応出来ないとすれば、潰れるしかない。

 ただ、だからといって「切腹コール」に賛成するわけでもない。「批判を止めることは出来ない」ことと、「その批判の内容に賛成する」ことは別のことです。

 ぼくもね、亀田大毅に同情するわけじゃないんです。自分の蒔いた種ではあるし、堕ちるところまで堕ちていけばいい。かれがどうなろうと知ったことではない。

 でも、でもね、相手がどんな悪党だろうが、何十、何百、何千、あるいはそれ以上の人間が、公然とただひとりの個人に向けて、「切腹しろ」と詰め寄る光景には、何かいいしれずおぞましいものがあると思う。

 その昔、1910年代、「映画の父」D・W・グリフィスは、いつの時代も変わらない人々のかたくなさを嘆き、『イントレランス』(不寛容)という映画を撮りました。

イントレランス [DVD]

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 同時代のアメリカ、退廃の古代バビロン、キリストの受難、サン・バルテルミの虐殺という四つの物語を通して、寛容と不寛容の意味を描いた、気宇壮大な作品です。

 イントレランス。不寛容。許さないこと。それこそ人類のあらゆる悲劇のもとであると、グリフィスは考えていたわけです。ぼくもそう思う。

 亀田大毅は、いまのこの社会で最も象徴的な「悪」でしょう。そして、同時に、犯罪者というわけですらない、ただの未熟で生意気な18歳の少年に過ぎないともいえる。

 「いくら石を投げても非難されない存在」、「自分自身が散々他人に向け石を投げてきた存在」、「しかしたしかに石を投げられれば痛みを感じる存在」、その存在に対しどう対応するか、それはそのひとの人間性を語ることになるでしょう。

 無礼で傲慢な挑戦者に対し、怒りをこらえながら紳士的に対応した内藤に、王者の貫禄と威厳、そして一人前の大人としての余裕と成熟が感じられたように。

 増長した大毅がそれなりの制裁を受けることは「正義」かもしれない。でも、その「正義」に酔った自分の顔を鏡に映して見てみるといい、ひどい形相をしてはいないか、ぼくは、そう問い質してみたい。

 いや、ぼくだって、ひとの心から不寛容が消えると思っているわけではありません。ネットの罵詈雑言も、テレビ局への抗議電話も、消えてなくなることはないでしょうし、消し去るべきでもないでしょう。

 でも、そうだからこそ、バランスを取る必要がある。だれかが「おかしくないか?」と疑問を投げかける必要がある。なくても、ぼくは、そうするのです。ぼく自身のバランスのために。

「この世界に生きているすべての人には、いいたいことや理屈がある。それがわかった。だってみんな自分が苦しんでいることを誰かに伝えたくてたまらないんだから。なにもいいかえせないぼくの家はいい標的なんだ。丸めた泥を思いきり投げつけるための」

――石田衣良「うつくしい子ども」

うつくしい子ども (徳間文庫)

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