先日、今野緒雪の『マリア様がみてる』について、烏蛇さん(id:crowserpent)とチャットで話をした。
該当箇所を読みやすいよう整理した上で抜き出してみる。
roki マリみては、なんちゃって百合ごっこっぽいというか、擬似恋愛系な気がして、1冊しか読んでません。
(中略)
烏蛇 「スール」というギミックを作ったのが「マリみて」最大の特色なんだけど、それが同時に「百合ごっこ」的なぬるさにも繋がってる、という感じですかね。
海燕 でも、あの作品があったからこそその後の作品もあるかもしれないわけで、歴史的貢献度は大きい。
烏蛇 確かにそれはあるんですけどね。歴史的貢献という意味で評価できないわけじゃないけど、作品単体として高い点はつけられない。そもそもなんで上下関係前提なんだ、っていう。
海燕 でも、同年代は対等ですよ?
烏蛇 「スール」になるには学年が違わなきゃダメじゃないですか。それ故に「スール」には上級生が下級生を指導する、という上下関係の含みが入ってしまうし。
烏蛇 さらにそれが「山百合会(生徒会)」と密接に関係して、学校全体を支えるシステムとして機能する。何より、その「スール」が物語の主軸に置かれてしまってること。めちゃくちゃ保守的な世界ですよ、「マリみて」って。
海燕 いや、でも、その保守性って限定的なものでしょ? 学校でたらそこで終わり。みんなそれをわかった上でそのときだけの関係性を楽しんでいるわけで、それはそれでありだと思う。
烏蛇 うーん… そうは言っても、その保守性の中で息を詰まらせちゃう人間も居るわけじゃないですか。
海燕 うん、まあ、それはそうだけど、ああいうのが好きだというひとだけあれをやっていればいいのであって、だれもがああであるべきだと言っているわけじゃない。聖さまなんて大学行ったらすっかり普通のひとですし。
烏蛇 んー、むしろ聖さまは、あの保守性のなかで彼女なりに格闘した挙句、ああいう形に落としどころを見つけたんだなぁ、って感じがしたんですけどね。
海燕 外に現実の世界はあって、いつかはそこへ行かなければいけないんだけれど、とりあえず羽根休めしている、というか。
烏蛇 なんていうか、一見「好きな人だけがそうすればいい」っていう自由さを見せかけていながら、実はその規範がすっごく重苦しく圧し掛かっている空間に見えます。あの学園って。
海燕 たしかにあそこで抑圧されているひとはいるでしょうね。
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烏蛇さんのいいたいこともわかるけれど、ぼくは、あれはあれで良いんじゃないかと思う。
一応、知らないひとのために書いておくと、『マリみて』はリリアン女学園という架空の学園を舞台に少女たちの青春や友情を綴った物語である。
この学園には、上級生と下級生が擬似姉妹関係を結ぶ「スール」と呼ばれる制度があって、「姉」は「妹」から「お姉さま」と呼ばれる。
また、リリアンの生徒会にあたる山百合会はそのスール制度の頂点に相当し、それぞれ「紅薔薇さま」「白薔薇さま」「黄薔薇さま」と呼ばれる3人の少女たちによって管理運営されている。
ま、そこだけ取ると何とも時代錯誤な話ですね。
「お姉さま」と「妹」、閉鎖された学園、少女たちだけの世界……。久美沙織はもう20年以上も前に、『丘の家のミッキー』でこの種の時代錯誤を批判している。
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この作品の主人公、ミッキーこと浅葉未来は、それこそリリアン女学園のような名門女子高の一生徒だったが、たまたま学園を去ることになり、初めて外の世界を知る。
温室のような学園を出、「野蛮な」生徒たちと交流することによって、その古めかしく狭苦しい価値観は打ち砕かれ、未来は大きく成長することになる。
ここでは、甘い少女の夢、その象徴としての学園が徹底的に批判され、告発されている。
久美は、名門女学園の、その古色蒼然とした世界に一定の魅力を認めながらも、最終的には一般社会の広さと豊かさのほうを選び取っているように見える。
そういう意味で、この作品は「アンチ少女小説」である。その後の久美が、まさにこの小説の未来のように、コバルト文庫を飛び出し、大人向けの市場で勝負するようになったことは、自然な展開といわなければならない。
それに比べて、『マリみて』では、ひたすら学園内の話ばかりが続く。
主人公の祐巳は幼年期からリリアンで育った生粋のリリアンっ子。そして、ほとんどの人物が彼女の同類である。
烏蛇さんがいうように、そこでは上下関係、権力関係が無批判に維持されている。少女たちが自らを縛りつけあい管理しあうとざされた王国。
そこだけ見ると、何十年もかけて結局、少女小説は後退してしまったようにも見える。
過酷な現実世界を避け、甘い夢のなかへ。まさに「なんちゃって百合ごっこ」。しかし、本当にそうだろうか。
聖は恵まれた容姿と才能を併せ持つ学園のアイドルでありながら、学園に馴染めず、疎外感を感じている。乃梨子は外部から学園にやって来た新入生で、やはり学園に馴染めずにいる。
二人は、学園の「内」と「外」から、その奇妙なシステムを相対化する立ち位置にある。
しかし、それでもなお、さいごには彼女たちもリリアン女学園の牙城である山百合会に入り、それぞれ「薔薇さま」と「薔薇のつぼみ」を演じることになる。
そして聖は、あっさりと卒業して行く。ここにこそ、『マリみて』のおもしろさがある。
この二人、とくに聖は、箱庭の学園の限界を知りながらも、それでも主体的に学園を選ぶ。ある意味ではすべてが茶番に過ぎないと知りながらも、それでも山百合会を愛する。
そこにあるものは、幻想を幻想と知りながら愛で、箱庭と箱庭と気づきながら尊ぶ、そういう精神ではないだろうか。
しょせんいつかは出て行かなければならない少女の温室、しかし、そうだからこそ、いまこの一時は「姉」と「妹」、「薔薇」や、その「つぼみ」を演じる。
けっして無垢な少女ではありえないからこそ、その幻想を守り抜く。やがて飛び立つ日が来るからこそ、ひと時の止まり木をいとしげに見つめる。聖は、そういう人物だと思う。
聖と、そして同期の「薔薇さま」たちが、『マリみて』の全人物のなかでもひときわ魅力的なのは、そういう屈折を抱え込んでいるからなのではないか。だからこそ、聖は、本当の意味で純真で健全な祐巳をかわいがる。
彼女たちと比べると、祐巳とか祥子辺りはいかにも幼い。だから、聖たちがいなくなってしまったあとの『マリみて』は、何かひと味もの足りないものがある。
ちなみに、『マリみて』に飽き足らない向きには、桜庭一樹の『青年のための読書クラブ』をお勧めする。
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『マリみて』と同じ名門女子学園を描いた作品だが、その内容はあらゆる意味で『マリみて』と正反対。
今野と異なり、桜庭は、「少女」という幻想の裏にかくされた醜悪をはげしくあばき立てずには置かない。現実から目を背け、差別的な価値観に凝り固まった、老いた心の娘たち。その腐敗した王国。
この作品と『マリみて』を併読すると、バランスが取れた読書を楽しめるのではないかと思う。
光と闇、裏と表、幻想と現実、二つの方向性から見つめることで、世界はホログラムのようにあざやかに浮かび上がってくるだろう。
聖さまラブ。