だれもが加害者であり、被害者である。

ニューヨーク・ニューヨーク (1) (白泉社文庫)

ニューヨーク・ニューヨーク (1) (白泉社文庫)

ニューヨーク・ニューヨーク (第2巻) (白泉社文庫)

ニューヨーク・ニューヨーク (第2巻) (白泉社文庫)

 再読。

 いや、再再読。

 というか、もう何回目になるのかわからないのだが、第1話から最終話まで通読した。羅川真里茂畢生の傑作である。

 あなたは、何か物語を読んでいて、泣きたいようなきもちになったことがあるだろうか。あるいは、その思いがあふれ、涙の雫がこぼれ落ちたことが?

 ぼくの場合、めったにそんなことはない。たとえ深く感動したとしても、その思いが涙腺にたどり着く前に蒸発してしまう、そういう体質なのだろう。

 しかし、この物語を読みかえすときだけは、何か心の奥のほうから、熱く柔らかなものがこみ上げてくることを感じる。

 『ニューヨーク・ニューヨーク』。

 そう、これは、はるかなるアメリカ、ニューヨークの物語。

 主人公は同性愛者の警官、ケイン。昼は警官として仕事をこなし、夜になるとゲイタウンで男漁りをくり返す、そんな刹那的な生き方を続けてきたかれは、ある日、金髪碧眼の若者、メルと出逢う。

 「ジーザス。運命だ。理想が服着て歩いている」。

 いままで特定のパートナーをもったことがなかったケインだが、すぐにメルと同棲するようになる。しかし、二人の行く手には、さまざまな困難が待ち受けていたのだった――。

 と、こう書くと、いかにも通俗的ラブロマンスだが、羅川は丁寧に、丁寧に、恋人たちの物語を紡いでゆく。

 差別、偏見、喧嘩、ケインの両親へのカミングアウト、ゲイチャーチでの結婚式、そしてその先にさらに待ち受ける試練。

 その過酷な物語では、だれも無垢であることを許されない。だれもが罪びととなり、加害者となる。

 ケインは一面では同性愛差別にさらされる被害者であるが、メルに対してはしばしば加害者としてふるまう。

 ケインの母親はホモセクシュアルの息子を受け入れられず、かれを傷つける。

 ケインの同僚ゴーシュはゲイでありながら妻をもつことで彼女を傷つける……。

 その人間関係の曼荼羅はひどく複雑で、簡単に善悪にわけることを許さない。だれもが被害者でありながら、同時に加害者なのだ。

 ただ一人、あらゆる罪と無縁なのはメルである。かれはひたすらに被害者であり、犠牲者であり、だれも傷つけることなく、ただ傷つけられる。

 この作品に不満点があるとすれば、メルのこの描写だろう。感動的な作品ではある。しかし、やはり、ここだけは甘いと思う。

 その甘さは、萩尾望都が代表作『残酷な神が支配する』で、純然たる被害者であるはずのジェルミ少年に母殺しの罪を背負わせた、その苛烈さと対照的である。

残酷な神が支配する (1) (小学館文庫)

残酷な神が支配する (1) (小学館文庫)

 ほかにも、いくらでも書くべきことがあるのだが、際限がないので、いつかまた改めて書くことにしよう。いやあ、名作だわ。

 余談だが、文庫版第2巻の解説を書いている伊藤悟さんとは、会って二言三言ことばを交わしたことがある。

 第1巻解説の藤本由香里さんとは、新潟でマンガ学会がひらかれたとき、同じへやに居た。

 双方とも面識がある、というほどの関係ではないが、奇妙な縁を感じる。ひととひととは、どこで繋がっているのかわからないものだなあ。