作品のジャンルは書き手の意思では決まらない。

当事者である作り手の人たちと仕事で直にやりとりをしつつ、少し距離を置いて彼らのことを観察している身として、なにか物が言ってみたくなったので、まとまっていませんが思いつくままに書いてみたいと思います。

ライトノベルの定義論争を読むと、なんとも微妙なモヤモヤした気分になります。近いものをあげると、東浩紀氏の評論を読んだ時に感じる気分。「どんな風に考えるのも個人の自由ですけど、俺らや作家はそんなこと考えて物作ってませんぜ」みたいな。自分たちが意識していないことにラベルが貼られていくことに対する、違和感みたいなもの。

――「ライトノベルの定義論争と、電撃文庫がライトノベルという言葉を使わないこと」

 えっと、「自分たちが意識していないことにラベルが貼られる」ことは、ごく普通のことだと思います。

 ライトノベルだけじゃなく、凡そ小説とはすべて、書き手/作り手の思惑を超えて読まれるものです。

 読者には自由に読む権利があるし、それに対して書き手が「そんなこと思っていなかった」なんていっても無意味。

 そもそも書き手が考えていないことだからこそ、批評には価値があるわけです。

 もし書き手が考えた内容が即ち「正しい読み」なのだとすれば、直接書き手に訊けばいいわけですからね。

 じっさいには、作品の可能性は作者の意図に束縛されるものではなく、書き手の想像を超える「読み」はいくらでもありえます。

 もちろん、「いや、その読み方おかしいだろ」ということはあると思う。しかし、そのときだって、どこがどうおかしいのか具体的に指摘し、論理的に説明することなしに頭ごなしに否定することは出来ないはず。

 書き手が書いたときどう考えていたのかということは、小説を読む際、あまり意味のあることではないのです。

 たしかに、自分の作品をあるジャンルに組み込まれることをきらう作家はいるでしょう。

 たとえば、自称「サイファイ作家」の梅原克文さんは、自作をSFに分類した大森望さんに対し、こう宣言しています。

 ご存じの通り、私は「SFは終わった。自分はSF作家ではない。サイファイ作家だ」と主張している人間です。
 なのに、貴殿らは「梅原克文は、そんなことは一言も言っていない」といった態度を取るわけですね。
 はっきりと警告しておきますが、今後、貴殿らが私を「SF作家」呼ばわりするのであれば、私は名誉毀損や営業妨害などの名目で訴訟も辞さないつもりです!

 実際、今の商業作家にとって、「SF作家」と呼ばれるのは迷惑なのです。神林長平大原まり子などの仲間だと、勘違いされてしまうからです。
 大衆読者たちから、「梅原克文という作家も、あんなわけのわからない小説を書いている連中の仲間なのか」と誤解されてしまうからです。
 商売の邪魔なので、絶対にやめていただきたい。

 すでに警告は出しました。
 今後、雑誌記事などに「梅原克文=SF作家」の文脈が登場して、「これは悪質だ。知っていて、知らない振りを続けている」と判断できるようなら、私は弁護士に相談します。
 そして弁護士に手紙を書いてもらいます。「訴訟を起こす予定なので、貴殿らも被告人として受けて立つ準備をするべきだ」という手紙です。
 大森望氏らだけでなく、その雑誌を出版した出版社社長らも共同責任者と見なし、彼らにも手紙を送って、訴訟の被告人として指定します。
 要求はただ一つ、「SF作家と呼ばれると本が売れなくなるから、やめろ!」です。

 こういう言い草が荒唐無稽であることに、説明の必要はないと思います。

 たとえ本人が「サイファイ」のつもりで書いてもSFに分類されることもあるし、ライトノベルのつもりで書いてもミステリに分類されることもありえる。それはもう、仕方ないことなんじゃないかな。

 また、仮に電撃文庫編集部が「俺たちゃライトノベルを作りてえんじゃねえ。面白え本を作りてえんだ」と思っているとしても、個々の作家もそう考えているとはかぎりません。

 たとえば、引用元でも名前が挙がっている『図書館戦争』の有川浩さんは、あるインタビューでこう述べています。

有川 大人の読者さんに対しては、ライトノベルは、パッケージングで損をしているところがすごくあったりしますね。けれど、基本的には少年少女のものだから、パッケージングがそうであることは当たり前なんですよね。それを「みっともない」とか、「恥ずかしい」とかいうのは大人の勝手な言い分であって。だから、私は大人のためのライトノベルというのを書きたいというのがずっとあって。ハードカバーでも、ずっとライトノベルを書いているつもりですね。

 はっきり「ライトノベルを書きたい」「ライトノベルを書いているつもり」といっていますよね。

 結局、そのひとが「ライトノベル」というジャンルを意識しているのかどうか、そんなことは作家ひとりひとりに訊いてみなければわからないわけで、それこそ十派一絡にいえることじゃない。

 ライトノベル定義論争には興味がありませんが、とりあえず、書き手がひと言いえばそれで決まる、というものではないとはいえるんじゃないかと。