と学会の沈黙。


 いままで、「Something Orange」では、くり返し、上の世代のオタク論客の言説を批判してきました。

 だから、きっと、こう思われたかたもいらっしゃるでしょう。お前はそんなに第一世代のオタクが嫌いなのか、と。

 いや、そんなこともないんですけどね。ただ、やっぱり、一部のひとの発言には、多々疑問を感じることがあることも事実。

 とくに、山本弘さんや唐沢俊一さんあたりに見られる、やたらにひとを揶揄したり、嘲笑したり、見下したりする態度にはどうしても共感出来ないものがあります。

 「と学会」の本などは象徴的で、たまに読むと何となくいやな気持ちになることが少なくない。いや、最初の『トンデモ本の世界』の頃はおもしろかったんですよ。

トンデモ本の世界 (宝島社文庫)

トンデモ本の世界 (宝島社文庫)

 ところが、新刊が出るたびに、余裕と、そしてユーモアが失われ、ただひたすら「トンデモ本」を糾弾するだけの内容に変わって行ったように思う。たぶん、同じことを感じているひとも少なくないでしょう。

 この記事では、『トンデモ本の逆襲』における、唐沢俊一さんのミスが取り上げられています。

 山本弘さんにも、オカルティズム絡みのミスや無知や「?」な主張は、過去の著書を入れると、かなりの数に登ります。

 しかし、ここで取り上げるのは、唐沢俊一さんです。
 魔術がらみでは、「ゲーティア」をご存知ないらしく、悪魔の名前を「世界妖怪図鑑」の著書のダジャレによる創作と決め付ける等のミスが印象に深いです。
 これは「トンデモ本の逆襲」(p137)の中の文章なんですが……

・風を起こす悪魔で、「フーカロール」。
・団体で出てくるから「ダンタリアン」。
……うーん、すごい。すごいけど、いいかげん(笑)。

 「団体で出てくる悪魔だからダンダリアン」や「風を起こす悪魔フーカロール」は、ダジャレだろうと。
 ところが、恐ろしいことに、このダンダリアン(Dantalion)やフーカロール(Focarol)は、間違いなく「ゲーティア」という魔術書に出てくるんです。しかもダンタリアンは「多くの男女の顔を持った人間の姿」で出現するとあります。団体とまでは行かないが、近いです。フーカロールに至っては、「風と海を支配する」とあります。
 念のため、メイザースによる英訳本と、ピーターソンによる英訳の2種類のテキストを調べておきましたが、間違いありません(笑)。

トンデモ本の逆襲

トンデモ本の逆襲

 ま、ちょっと情けない間違いですね。

 記事の最下部には、唐沢さんがこの記事に反論?していることが書かれているけれど、いまはデッドリンクになっていて、読めません。記事の移転先をご存知の方はご一報下さい。

 とにかく、唐沢さんだってこういうことはあるわけです。一方的にひとのことばかり笑える立場じゃない。

 いや、勘違いしないでほしいのだけれど、こういうミスを犯すから唐沢俊一は駄目なのだ、といいたいわけじゃない。

 上記の記事でも書かれている通り、どんなに博識のひとにだって知らないことはあるし、ミスもある。それは人間だから仕方ない。

 もちろん、ぼくにも、いくらでもミスはあります。ひとに指摘されたものもあれば、ばれないようにこっそり直したものもあるし、自分でも気づかないままのものもあるでしょう。

 ただ、ひとのミスを散々笑い者にしてきた人間が、自分のことだけは特別扱いするとしたら、それはあまりかっこいいことじゃないとは思う。

 ウィキペディアによると、唐沢さんは、自分の間違いについて、こんなふうに発言しているそうです。

充分な資料調査を行っているとは必ずしも言えず、著述や発言の信憑性には批判も多い。これに対し、唐沢自身は「雑学は怪しげさも魅力」と唱え『ごきげんよう』に出演の際、「意図的にウソのネタも混ぜている」と発言している。

 小学生の言い訳じゃないんだからさ……。

 ぼくはやっぱり、こういう態度はかっこ悪いと思う。ひとのことを笑うなら、ひとに笑われる覚悟もする、それくらいまで行って初めて、一人前の言論人といえるのではないでしょうか。

 と学会会長の山本弘さんにも似たような不満を感じます。

 ぼくは小学生の頃からかれの作品を読んでいて、そういう意味では非常に愛着のある作家です。

 若手作家の乙一が山本さんの作品を愛読書に挙げているけれど、その心理はよくわかる。天才的とはいえないにしろ、優れた作家だと思っています。

 ただ、それでもやっぱり、かれの発言には納得いかないものが多い。

 ぼくは先日閉鎖された山本さんの公式サイト掲示板を愛読していたんですが、そこを読んだときも、どうしてこう、ひとの神経を逆撫でするようなことばかり書くんだろう、と思っていました。

 「猫は勘定にいれません」では、山本さんのエッセイ集『宇宙はくりまんじゅうで滅びるか?』について、こう評しています。

ところで、この文章のオチが人生に大事なものは「理解できなくとも許容する」「おおらかな心」だというのには思わずニヤニヤしてしまいました。えっと、山本弘ウォッチャーの僕からすると、それこそ山本さんにしばしば欠けてるような気がしてしまうものだったりするんですけど…。

宇宙はくりまんじゅうで滅びるか?

宇宙はくりまんじゅうで滅びるか?

 わかるわかる。

 ただ、山本さん自身も掲示板閉鎖のときに、自分の態度をふり返って反省していたから、そこを責めるのは酷かもしれません。わかっていても出来ないことはあるものです。

 たぶんね、山本さんはいま51歳ですけれど、かれらが若かった時代は、SFとか、漫画とか、アニメとかいった「低俗な」文化に対する社会の抵抗がいまよりずっと強かったのだと思います。

 だから、そういった作品を愛好するためには、いまより覚悟と、こだわりが必要だった。それはわかる。

 でも、だからといって、「低俗」な文化と「高尚」な文化を厳密に切り分け、その「低俗さ」ばかりを礼賛して、「高尚ぶること」を非難することは、違うと思うんだよなあ。

 山本さんはよく「文学」を「高尚な文化」の代表格として敵視するけれど、で、じっさいどんな文学作品を読んできているかといえば、ゲーテヘルマン・ヘッセ

 ぼくには、かれのそういう態度は、実物を読みもしないでSFをばかにするような態度の裏返しに思えるんだよね。

 さて、山本さんにしろ、岡田斗司夫さんにしろ、さんざん他人の「トンデモさ」を笑いものにして来たひとたちは、現在、唐沢さんの盗作騒動について沈黙を守っているようです。

 もちろん、いっしょに仕事をしているからといって、他人の問題に言及する責任があるわけではありません。唐沢さんの問題は、唐沢さんが解決するべきことでしょう。

 ただ、かれらがいままで散々ひとを笑い飛ばしてきたことを考えると、やはり、自分の仲間だけは特別扱いするのか、という印象は拭えない。

 と学会はいつまで沈黙しつづけるのでしょうか。そして、身内の問題に対しては沈黙したままで、ひとの「トンデモ」を笑いつづけるのでしょうか。

 いったいそれを自分のなかでどうやって正当化しているのか。ぼくには、それは、何だかとても空恐ろしいことに思えるのです。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」

――『聖書』