桜庭一樹、北村薫を語る。


 新潮社のサイトに、桜庭一樹が北村薫を評している文章を見つけた。『1950年のバックトス』である。

1950年のバックトス

1950年のバックトス

 彼女は書く。

 北村薫の短編からは、真夜中の匂いがする。夏の、丑三つ時。生温かい風が、二階の花柄のカーテンを揺らしている。虫の音。階下から漏れ聞こえる、誰かの囁き声。二階の、窓が開いて、なにかが入ってくる――。
 読むととてつもなく怖い思いをするけれど、それは紛れもなく、小説の怖さなのだ。映画や、漫画や、音楽や、ほかのジャンルにはけっしてできない、小説だけがもつ力だ。作家のもとを、万華鏡を手にした女がフラリと訪ねてくる「万華鏡」。海で夫が溺れて以来、追跡恐怖症になったM夫人を追跡しようとする「秋」。あくまでも静かな筆致から、夜の魔物のような、形のないモワモワしたものが立ち昇って、本から、読んでいる自分に乗り移り、首を締めつけてくるようだ……。小説の穴に転がり落ちるような、素晴らしい読書体験。

 うん、うん。

 さすが桜庭一樹、書くことが的確。

 話芸といい、文芸という。しかし、いまの時代、北村薫ほど「芸」を感じさせる作家はいないと思う。

 この『1950年のバックトス』は、北村があちこちに発表した20篇余りの「掌の小説」を集めた掌編小説集。さすがに、巧い。

 ショートショートではなく掌編小説だから、とくに「落ち」がつく話ばかりではない。ひとによっては、何がおもしろいのかと思うかもしれない。

 でも、隅々にいたるまで丁寧に磨きこまれた文章、端正な構成は、まさに「芸」。

 宮部みゆきが漏らしたある「謎」を落語仕立てにした「真夜中のダッフルコート」がおもしろい。

 少年野球から始めてある老婦人の過去を追う「1950年のバックトス」も良い。読むことそのものの快楽に酔う。

 ただ、さすがに1冊にまとめられると少し飽きが来る。これから読まれる方は、ひと晩に一篇ずつ読んでいくと良いと思う。