「臭い」という罪悪。

非喫煙者にとってタバコの何が嫌かというと、第一に「におい」です。正直「くさい」ので、俺の前で吸うなと。よりはっきり言えば体臭や口臭もきついのでできれば俺に近づくなと。副流煙とかもっともらしいことを言っているのは、僕にしてみれば「臭いんだよお前」をオブラートに包んでいるだけ。煙はその次。歩きタバコだと炎も含まれますが。

喫煙者にとって非喫煙者はゴミなのだばりにセンセーショナルな言い方をするならば「非喫煙者にとって、喫煙者とは汚物なのだ」。

喫煙者にとって煙草が吸えない状況が生理的に我慢できないのと同様に、非喫煙者にとって煙草を吸われるのは「くさい」という生理的に我慢できないことなのだ。

 「喫煙者」と「非喫煙者」で分けて考えるのは良くないんじゃないかと。

 ぼくは生まれてからこのかた一本も喫煙したことがない「完全非喫煙者」ですが、他人が吸うことはあまり気になりません。

 ま、もうもうと煙が立ち込めるパチンコ店(昔はそうだった)などに閉じこめられたらいやですが、ひとが目の前で吸うくらいならとくに気にしない。

 食事に行ったときは一応禁煙席を選ぶけれど、そちらが空いていない場合はべつに喫煙席でも良い。そういう「非喫煙者」もいるわけで、「非喫煙者」が皆、同じことを考えているようにいってしまうとちょっと語弊があるかと。

 たしかに煙草の匂いが服やからだに染み付いたひとは臭いとは思いますが、逆にいえば、匂いがつかないよう注意すれば良いのだし、喫煙者でなくても臭いひとはいる。

 たぶん、「喫煙者」と「非喫煙者」を二元論的に分けてはてしなく対決するより、ひとりの人間同士として穏やかに対話していくことのほうが問題は進展するのではないでしょうか。それがむずかしいんだろうけれど。

 もっとも、ぼくも歩き煙草でひとを危険にさらすことは問題外だと考えるので、そういうことをするひとには田村由美の「針の目」という短篇を読ませてあげればいいと思う。これは怖いよ。

 さて、この話を読んで思い出したのが、松井計の『ホームレス作家』。

ホームレス作家 (幻冬舎アウトロー文庫)

ホームレス作家 (幻冬舎アウトロー文庫)

ホームレス失格 (幻冬舎アウトロー文庫)

ホームレス失格 (幻冬舎アウトロー文庫)

 いろいろな事情が重なり、ホームレスにまで転落していった作家松井計のドキュメントです。

 この本のなかに、ホームレス生活で一番注意したことが「匂い」の問題だったと書かれています。

 松井さんはいったんホームレスにまで落ちたものの、すぐにでももとの社会に戻りたいから、衣服に匂いがつかないよう注意する。具体的には、金がなくてもコインランドリを用い、衣服を清潔に保とうとする。

 あまり匂いがきついと公共施設なども利用できなくなってしまい、問題があるのです。

 しかし、かれより「ホームレス歴」が長い熟練ホームレスたちは、もはや自分の臭いを気にしたりしない。金があれば、服を洗ったりせず、酒を飲んでしまう。

 それはいかにもだらしなさの証明のように見えるが、しかし、そうではない。かれらはもうからだの臭いを消し去って「清潔」な社会へ戻ろうという意欲を捨ててしまっているのです。

 つまり、ここでは、「ホームレス」と「ホームレスを除外する社会」のあいだにある「壁」が「匂い」というかたちであらわれている。

 「喫煙者は汚物だ」というなら、ホームレスなんて汚物のなかの汚物でしょう。じっさい、いくらご大層な正論をかかげてみても、臭いものは臭い。人間の生理的な感覚の部分にかかわる問題だけに、どうしようもないところはある。

 そういう意味では、きちんとした家に住み、清潔に暮らしている少年たちが、ホームレスや、加齢集のする中年たちを見下し、「オヤジ狩り」「ホームレス狩り」を行ったりすることも仕方ないことなのかもしれない。このクリーンな社会では、「臭い」ということが最大の罪悪なのです。

 いや、もちろん、仕方なくなんてない。一時的に嫌悪感をそそられたとしても、そのことを過剰な攻撃性と結びつけて良いことにはならない。「あいつらは臭いのだ」といえばすべてが正当化されるわけではない。

 何の話かわからなくなってきましたが、つまり、ぼくがいいたいのは、たとえ「匂い」という生理的な要素がかかわっているとしても、そのことを理解した上でやはり理性的に解決していくべきだということです。

 そういう意味で、喫煙・禁煙の問題は「匂い」の問題であるという指摘は意義深い。そこをスタート地点にして、じゃ、どうすれば良いのか、と考えていくべきだと思う。

 できれば喧嘩せずに、仲良く。