『らき☆すた』の文化的背景。


 ペトロニウスさんの最新記事がすごくおもしろかった。失礼して、長めに引用させてもらいます。

僕がいつも語る「永遠の日常」という概念の「日常」も、海燕さんと同じ意味です。日常を、必ずしも現実のリアルなもの、という意味では使っていません。それでは、リアリズム(=写実主義)になってしまいます。言葉的にはストレートに日常というよりは、「日常的なるもの」とか言い分けた方がいいのかもしれません。

日常とは、「時間は経ったとしても、変わらずにそこにあるもの」「そこに変化しないであることで、人の心に安心感を与えるもの」という意味で使用しています。

考えてみるとこれは、ヨーロッパ病の中で生まれたヨーロッパ映画のモチーフと同じなのかもしれません。フランス映画は、女性を、恋愛を描き続けます。

それはなぜか?。

既に200年近く構造的な不況が続くヨーロッパ大陸では、成長という輝かしさはすでに信じられなくなった久しい。別に成長がないというわけではないですよ。階級が構造的に固定化して、貧富の差がある構造で安定していて、ダイナミックな流動性とともに国民全部が底上げされるような、血眼の資本主義的成長意識が失われているという意味です。

 さて、ここだけ読んで『らき☆すた』の話だって、わかるでしょうか(笑)。

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 『らき☆すた』とヨーロッパ映画を引きつけて考える発想はちょっと出てこなかったなあ。しかし、いわれてみると、鋭いところを衝いていると思う。

 ま、ヨーロッパ映画、とくにフランス映画というものは、ハリウッド印のエンターテインメントに慣れた者の目から見ると、何がおもしろいのかわからない作品が少なくないんですよね。

 そういう意味で、『らき☆すた』と似ているといえなくもない。

 先日取り上げた金城一紀の『映画篇』には、一本、作中のだれもが口をそろえて退屈だというなぞの映画が出てくるんですけど、これがフランス映画(笑)。

 金城さんはフランス映画があまり好きじゃないみたいですね。ひと口にフランス映画といっても、いろいろあるわけですけれど、ペトロニウスさんがいうような意味での傑作を撮っているのは、やっぱりベルトリッチとかトリュフォーでしょう。

 ぼくは映画には詳しくないのですが、たぶんそうだと思う。あと、パトリス・シェロー監督の『王妃マルゴ』なんかもぼくは好き。

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 上記の作品には、過激な恋愛やセックスにのめり込んで破滅していく男女を描いているという共通点があります。『王妃マルゴ』の主人公なんて、王妃なのに道ならぬ恋にはまり込んでいく。

 ようするにフランス人という連中は、平穏な生活が退屈すぎて恋愛とセックスしかやることがないんじゃないかと思うんですけど(笑)。そして、そのセックスにも飽きてしまうと、あとは砂漠に行って死んでしまう。

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 ペトロニウスさんも書いていますけれど、こういう映画が出てくる背景には、ヨーロッパの社会状況があるのでしょう。イギリスやフランスといった欧州の列強が全盛期を迎えたのは、既に前世紀のことです(駄洒落じゃないよ)。

 その頃は世界中に植民地を作って搾取して、ウハウハいっていたわけです。帝国主義ですね。でも、そんなことがいつまでも続くわけがないから、やがて植民地も手放さざるを得なくなって、衰退の時代が始まる。

 トールキンの『指輪物語』や、ムアコックの『エルリック・サーガ』で、エルフやメルニボネ人と呼ばれる貴族種族の終焉が描かれるのは、たぶん、ここらへんの状況を反映しているものと思われます。

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 しかし、そうやって衰退していくということは、かならずしも悪いことばかりではない。もちろん、いろいろと苦しいことはあったでしょう。

 でも、日本があれほど金持ちだったバブルの頃、日本人がどんなに下品だったか? そのことを思い出してみると、イギリスあたりのゆるやかに衰退していく道はむしろ上品にも思える。

 で、ひとたび世界の頂点に立った日本は、いま、ふたたびその頂上をめざすか? それとも、やはり、ゆるやかな衰退の道を進むことになるのか? その岐路にある。

 そこで生まれてきたのが『らき☆すた』のような、「変わりのない日常」を楽しむ作品である、と。知らなかった。『らき☆すた』にそんな深い意味があったとわ(笑)。

 じっさい、いま『らき☆すた』みたいな萌え漫画をまったり楽しんでいるオタクが、そう強烈な上昇志向のもち主ばかりということは考えづらい。そういう意味では出るべくして出てきた作品なのかもしれない。

 ただ、その「はてしない日常」というものもやはり幻想であり、一定の経済的背景があって初めて成立しえる儚いものなんですよね。

 いまの日本ではそこらへんの条件が急速に崩壊しつつあるようにも思える。もう「まったり終わりなき日常を生きる」どころじゃない。

 だから、『らき☆すた』の世界は、いまの日本の若者の現状を反映したものというよりは、やはり願望の産物なのかもしれない。こうであってほしい、いつまでも変わらずにあってほしい、という切なる願い。

 うん、何だか話が大きくなったな。でも、こういう見方はおもしろいですね。世界はひとつ。どんな作品も決して世界から切り離されて在るわけじゃない。あらためてそう思います。