だれもが成長できるわけじゃない。

Real Clothes 1 (クイーンズコミックス)

Real Clothes 1 (クイーンズコミックス)

Real Clothes 2 (クイーンズコミックス)

Real Clothes 2 (クイーンズコミックス)

やばい私―――自分で思ってる程イケてない!!

 槙村さとるの漫画は好きだ。

 初めて読んだのは東京で時間潰しに入った漫画喫茶。何気なく手に取った『おいしい関係』は、ちょっと感動的なくらいおもしろく、その場で全16巻を読み通してしまった。

おいしい関係 1 (YOUNG YOU漫画文庫)

おいしい関係 1 (YOUNG YOU漫画文庫)

 帰宅してからあらためて買えばいいのだが、ひたすら先を知りたい、そう思わせる作品だった。

 その後の槙村の作品はすべて目を通している。多少の出来不出来はあるものの、どれも質が高く、志も高い立派な作品である。

 しかし、同時に、槙村さとるの漫画はどうも苦手だ。「紙屋研究所」の書評がそこらへんの感覚を巧く表現してくれている。

 前にも書いたが、ある種のきびしさを追求する槇村の「リアル」は生硬で、ともすれば、「成功」した側の説教にさえ聞こえる。その成功譚は自らの写し絵であり、その一端は実は、たしかに自力によるものでもあるけども、他方でマスメディアを利用して築かれたものであるという点で、けっして普遍化できるものではないはずなのに。個人をそんなに責めることはないのだ。もっと「世の中が悪いのだ」、「弱い者同士が支えあおう」、と叫んでもいっこう差し支えないものである。
 その、無理なほどのきびしさは、荷宮和子が「名誉男性」とよんでいた、自らが男権的なきびしさに同化してしまっていることによって成り立っているようなきびしさである(余談だが、最初ぼくは荷宮こそこの「名誉男性」だと思っていた)。不自然な産物だ。槇村じしんは、しなやかさときびしさを自然にあわせもつようになりたい、と願いながら、こんなふうに描いてしまうのである。

 そうなんですよね。

 ぼくも「別冊マーガレット」でかいていた頃の槇村作品にかんしてはよく知らないのだが(『白のファルーカ』は読んだ)、とりあえず最近の大人向け作品にはすべてこの「無理なほどのきびしさ」を感じる。

 たしかにあなたは偉いよ、正しいよ、努力しているよ、自立しているよ、でも、頼むからその価値観で他人を測ることはやめてくれ、そういいたくなることがある。

 しかし、一方で、槇村作品は決して「名誉男性」的な硬直した価値観の産物ではない。柔らかさ、優しさ、美しさ、そういう「非男性的な価値観」も、そこでは十分に認められている。仕事や自立だけが価値ではない、と示されている。

 でもねえ。それでもやっぱり、槇村作品にはひとを裁くような険しさがあって、どうもそこが苦手なんだよね。彼女の世界には、ぼくのようなだめ人間の居場所はない。

 槇村の漫画はどれも女性の自立物語である。

 主人公は、物語が始まる時点では未熟で、「甘え」と片寄った価値観を抱いている。しかし、彼女は、さまざまなひとと出会い、悩み傷つきながらも、成長し、自立し、さいごには自己改革を果たす。

 でも、人間って、そんなにだれもかれもが成長できるものですか? できないひとはどうすればいいんですか?

 もし槇村が、ひきこもりをえがくとしたら、どうえがくだろう、といつも思う。やはり、ひきこもりの若者が悩み苦しみながらも成長して部屋を出、自立する、という物語になるのだろうか。

 それは何かが違うと思うんだよね。何が、といわれると、よくわかりませんが、でも、違う。その「正しさ」はぼくの趣味じゃない。

 あ、この作品のことに全然触れていませんね。でも、いいんですよ。いつもの槇村さとるだから。槇村作品がお好きな方にはおすすめ。苦手なひとも、苦い薬を飲むつもりで読んでみてもいいかと。