一冊は十冊の扉、十冊は百冊の入口。

月蝕島の魔物 (ミステリーYA!)

月蝕島の魔物 (ミステリーYA!)

ディケンズ先生、アンデルセン先生のご滞在が長びいて、ご迷惑ではありませんか」
 ディケンズは、じろりと私をにらんだ。
「そんなこと、我輩の口からはいえんよ」
 いっているのも同様である。

 田中芳樹の「ヴィクトリア朝怪奇冒険譚」三部作第一弾。

 このあとには『髑髏城の花嫁』、『水晶宮の死神』が予定されているとか。この期に及んであらたに三部作を始める辺りが凡人の理解を超えている。本当に完結するのかな。

 ヴィクトリア朝とは、ヴィクトリア女王によって統治された時代のイギリスを指す。

 その頃、世界に先んじて産業革命を果たしたイギリスの経済力は世界一となり、人口は数倍に増え、世界各地に植民地を生み出してはその富を吸い取っていた。

 シャーロック・ホームズの時代であり、『エマ』の時代である。ついでに『ロンド・リーフレット』の時代でもある。

シャーロック・ホームズの冒険 (YOHANナビつき洋書)

シャーロック・ホームズの冒険 (YOHANナビつき洋書)

エマ (1) (Beam comix)

エマ (1) (Beam comix)

 しかし、急速すぎる経済発展がさまざまな矛盾を生み出すことはご存知のとおり。20世紀の日本が経験し、21世紀の中国が経験するであろうことを、イギリスは19世紀に経験したのである。

 貴族や富豪たちがわが世の春を謳歌する一方で、世界一の大都会となったロンドンには、すきっ腹の浮浪児たちがあふれ、餓死寸前のものすら少なくなかった……。

 そんなヴィクトリア朝を舞台にした物語は腐るほど発表されているわけだが、この作品の特色は作家チャールズ・ディケンズハンス・クリスチャン・アンデルセンを主役格で登場させたところにある。

 ディケンズアンデルセン。作風的にも、印象的にも、うまく結びつかない名前だが、このふたりに交友があったことは歴史的な事実である。

 ちゃんとアンデルセンの伝記にも記されている。ルーマ・ゴッデン*1の『アンデルセン −夢をさがしあてた詩人−』によると、ふたりが出逢ったのはプレシントン夫人のパーティだったという。

アンデルセン―夢をさがしあてた詩人

アンデルセン―夢をさがしあてた詩人

 さて、そこにはディケンズがいました。若々しく、そしてハンサムで親切で聡明な表情と、長く美しい髪をしていました。「私たちは握手し、たがいの目をじっと見つめあいました。そして話をするとすぐ理解しあえました」と、アンデルセンは書いています。

 この出逢いはアンデルセンにとっては運命的なものだった。かれはディケンズを尊敬し、崇拝し、イギリスに立ち寄ったときはその家に滞在した。

 しかし、逆にディケンズにとっては少々うんざりさせられるものだったようである。ディケンズは狭量な人間だったのだろうか。そうではない。アンデルセンが迷惑なひとだったのだ。

 アンデルセンは天才だった。そのことは間違いない。しかし、天才とはしばしば凡人より扱いがたいものである。事実として、アンデルセンは子供がそのまま大人になったような人物だったといわれる。

 たとえば、アンデルセンディケンズ邸に滞在している最中、その庭でわんわんと泣きわめいた。

 精魂こめて書いた力作が、ある批評家に酷評されたからである。かれは自作が酷評されるとそのことに耐えられず、泣き出してしまう男だったのだ。

 小説のなかでは、そんなアンデルセンを、ディケンズがこういって励ます。

「いいか、アンダーソン君*2、きみの名前と作品は不滅だ。百年後も二百年後も、文学というものがあるかぎり、きみの名は残る。だが、書評なんてものは、一週間もたてば、おぼえているやつなんていやしない。砂浜に棒きれで書かれた文字も同然だ。波がひとつ来ただけで消えてしまうんだ」

 いやあ、ディケンズ、かっこいい。

 一字一句そのままではないだろうが、とにかくこうやってディケンズアンデルセンを励ましたことも歴史的事実らしい。現実は小説よりも奇なり。

 そして、この言葉は完全に正しい。ヴィクトリア朝時代が遠い過去になったいまも、「人魚姫」の悲しい物語を知らないものはいない。しかし、アンデルセンを酷評した批評家の名前など、だれが憶えているだろうか?

人魚姫

人魚姫

 とはいえ、ディケンズアンデルセンに対する態度に冷たいところがあったことも、本当らしい。ふたたび、先述の『アンデルセン』から引用しよう。

 このイギリスの作家――客であり友人であるアンデルセンに対するこのディケンズの不誠実さを、私たちイギリス人は非常に恥ずかしく思います――のように、批判的で、自己中心的でなかったアンデルセンは、ディケンズを親愛なるボズ*3として、まずます増えていく有名な彼の知人リストに、信頼をもって書き入れていますし、アルバムのいちばんいい場所に、ディケンズからもらった手紙をていねいにはりつけています。

 どうも、ゴッデンはアンデルセンを贔屓するあまり、ディケンズに点が辛いように思える。

 ディケンズは、決して心の狭い小人物ではなく、むしろその反対、正義と公正のひとだった。あの『クリスマス・キャロル』の作家なのだ。

クリスマス・キャロル (岩波少年文庫)

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 しかし、そのディケンズですら、アンデルセンには耐えがたい思いをしたようだ。何しろ、アンデルセンディケンズ宅に一ヶ月以上も滞在しているのである。ひとりではろくに生活も出来ないような男を一月も抱える羽目になった文豪の心境、思うべし。

 しかも、小説のなかでは、ディケンズアンデルセンはいっしょに冒険の旅に出かけることになる。はるかなるスコットランドの果て、月蝕島へ!

 田中は、現実と虚構を巧みに縫い合わせながら物語を組み立てていく。巻末には実に百数十冊の参考資料が並べられている。ジュブナイル小説一本書くために、これだけ調べるひとも珍しいかもしれない。

 そして、その資料は作中でなかなかの効果を上げている。たとえば、主人公のニーダム青年と文豪たちが悪漢たちに閉じ込められたとき、たまたまアンデルセンがロープをもっていて脱出に成功する場面がある。

 常識的に考えればとんでもないご都合主義だが、じっさいもっていたんだから仕方がない!

 惜しむべきは、そういう歴史的薀蓄に比べて、物語の筋立てがいまひとつ波乱に欠けるところだ。どうも、このひとの書く冒険ものはワンパターンに陥りがちである。ま、筋立て以外のところがおもしろいから良いのだけれど。

 伝説の桂冠詩人アルフレッド・テニスン、時代を代表する大政治家グラッドストーンとディズレーリなど、その時代の有名人がたくさん登場して楽しい。

 そして、こういう本を読むと、ディケンズアンデルセンの本も読んでみたくなるし、この時代の英国に興味がわいてくる。

 1冊は10冊の扉、10冊は100冊の入口。読書の旅ははてしなく続く。ぼく自身の物語が幕を閉じる、そのときまで。

*1:名作『バレエダンサー』の作者。http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070109/p1参照。

*2:ディケンズアンデルセンの名前を正確に発音できず、こう呼ぶ。

*3:ディケンズの筆名。