バカを相手だと思わないと、と唐沢俊一はいった。


 唐沢俊一さんが例の盗用事件にかんする報告をサイトにうpしていますね。

今回の原稿の当該部分の掲載については、山川惣治・著『サンナイン』のあらすじ紹介を記載する文章の参考として手元にコピーし、メモしておいた漫棚通信氏のサイトの文章を、原稿執筆時、当方のケアレスで、ほぼそのままの形のものをペーストしてしまい、あらすじ引用という当該部分の性質上、原稿チェック時にその文章の同一性につい意識が回らぬまま、結果的に引用の条件を満たさぬ形で掲載する形になってしまったものです。

 なるほど。この期に及んで「ケアレスミス」で済ますつもりですか。もとの文章を細かく改変して掲載しておいて、「ほぼそのままの形のものをペースト」してしまったも何もないかと。

 文章全体を読むと、あいて側の主張をおとしめようとする意図が明らかで、非常に印象が悪いと思います*1。せめて「漫棚通信」にリンクくらい貼ればいいのにね。

 今回の件で、唐沢さん側のまずい対応におどろいたひとは多いと思います。もちろん、他人の文章を盗用することじたい良いことではありませんが、それだけならまだ理解できる範疇です。ついつい魔が差すことだってあるさ。にんげんだもの

 ところが、盗用問題発覚後の唐沢さんの態度は、盗用そのものよりもさらに問題含みのものでした。いったいこのひとは何を考えているのでしょうか?

 しかし、いままでの唐沢さんの言動を考慮すれば、このくらいのことはおどろくほどでもないようにも思えます。たとえば岡田斗司夫さんとの対談集『オタク論!』のなかで、かれはこのように語っています。


 しかしこれからビジネスをやるときには、バカを相手だと、しかも金を使わない奴を相手だと思わないと成り立たないですね。
 あとは、どこまで国民が自分たちのバカに耐えられるか……。もうちょっと様子を見たいと思いますね。

 しょせんバカあいてだと思って本を書いているのなら、ひとの文章を盗用してもばれないと高をくくってもふしぎではないでしょう。本人は気の利いた辛口発言のつもりだったのかもしれないけれど、いまとなっては非常に生々しい印象です。

 この発言が収録されているのは『オタク論!』のなかでも、「〝感性格差社会〟の到来!?」という回です。この回の唐沢さんたちの言動には、若い世代に対する反感があふれています。以下ではその内容を批判的に見ていくことにしましょう。

 さて、この回の唐沢さんたちの発言をまとめると、こういうことになると思います。われわれの世代は賢くて偉かった。それに比べていまどきの若者はバカばかりになった。こういうバカあいてに商売しなければならないと思うとうんざりする、と。

 たとえば、岡田さんはかれ自身が所属する「と学会」*2についてこのように語ります。

 「と学会」という集団はインテリの貴族主義の集まりですよね。本というものを疑おうという、とてつもなく高度なことをしているわけですから。

 「と学会」は成立してから10年以経つんですが、若い人が入ってこないんですよね。40代が中心です。入りにくいというのもあるだろうけど、何よりも若い人には無理なんだと思うんです。本を読んで面白いものを見つけて、会員の前で発表して、というのは「と学会」のもっている日常的なシステムだけど、若い人は自分が持っている一ネタだけはできるけど、ずっと恒常的に集めて発表するという知的なスタミナは誰も持っていない。年齢差イコール教養差、知的な体力差になってしまっている。
 IT革命が進んだことによって、バカを大量に生んで、知的ピラミッドがもう崩れちゃったわけですよね。

 いやいやいやいや。「と学会」に若手の参加者が少ないからいまどきの若者は知的じゃないとかいわれても。いつから「と学会」は構成員の年齢層で日本人の知的水準を測れるような偉い団体になったんでしょうか。

 そもそも、もし本の内容を疑うことが「とてつもなく高度なこと」で、そういうことをする人間が「インテリ貴族主義」なら、『オタク論!!』の中身を疑っているぼくだってインテリ貴族ということになってしまいます。

 とにかくこの対談は全編この調子で、「自分たちは少数派の知的貴族」「それに比べていまどきの若者はバカばかり」という結論が固定されており、あらゆる事実がそこに結びつけられていくのです。よくこんなに自画自賛できるなあ。

 その強引な理屈は以前取り上げた香山リカさんの本によく似ています。論拠がほとんど「おれの知りあいがいっていたんだけれど」レベルというところも共通していますね。

 たとえば、唐沢さんは最近の若者は漫画を読めなくなりつつあるのではないか、と語ります。しかし、その根拠は「あるアダルト雑誌の編集者」から聞いた話でしかない。

 そしてまた、かれにいわせれば、その一方で少年漫画などは非常に単純化しているということになります。

 一方でいまの少年誌のマンガっていうのが、すごいんですね。人物の行動全てが説明されているというか、猿にでもわかるような作りになってるんですよね。20年前のアメコミみたい。逆に、ちょっとでも入り組んだ話だと、すぐ放り出される。「のだめカンタービレ」の作者も、「今の若い人は伏線が理解できない」と嘆いていました、確か。

 さて、どこの少年漫画の話だろ。ぼくにはむしろ、いまの少年漫画では、きわめて長大な物語や複雑な人間関係を用いた作品が多数ヒットしているように思えます。

 たとえば、平気で数年がかりの伏線を用いたりする『ONE PIECE』の物語構造は、『ドラゴンボール』や『聖闘士星矢』あたりと比べて、あきらかに複雑だと思います。

 ほかにも、『DEATH NOTE』だの、『HUNTER×HUNTER』だの、『魔法先生ネギま!』だの、大量の登場人物を駆使して複雑な展開を見せる人気作品はいくらでもあるでしょう。

 『HUNTER×HUNTER』のグリード・アイランド編なんて、少年漫画始まって以来の情報量なんじゃないかな。

 もちろん、その反対にシンプルでわかりやすい作品もあります。しかし、「ちょっと入り組んだ話だと、すぐに放り出される」なんて、とても信じられない話です。唐沢さん、ほんとは最近の漫画のことなんてよく知らないのかも。

 ほかにもみんな漢字が読めなくなっているとか、最近の読者は長い文章を読めないからブログの長文記事はアクセスが下がるとか、真偽の怪しい話が並びます。

 「最近の若者は長い文章が読めない」ということは香山さんも書いていましたが、本当にそうならこの日記にひとが集まったりするはずがないと思うんだけどなあ。はてブのホットエントリを見てもけっこう長文の文章がありますしね。

 岡田さんはくりかえし「みんな」がそういっている、といいます。しかし、その「みんな」とは具体的にだれのことなのかよくわかりません。たぶん、かれの周囲の何人かのことだと思うのですが。

 岡田さんはいいます。

 僕らのなかになんとなくある、「新しい文化は若者が起こす」という偏見を外すと、新しい文化は老人が起こしているんですよ。ぶっちゃけた話、団塊の世代の人がどんどんリタイアしていくと、近未来のインテリは老人だけなんですよ。老人以外はバカばっかり(笑)。感性格差社会というのはつきつめるとどういうことかというと、昔みたいに年寄りというのは頭が良くて金をもっている人、若者というのはバカで貧乏ということになる(笑)。

 ようするにおれたちは賢いインテリだけれど若い世代はバカだ、と。

 そして、唐沢さんはいいます。

 お金を使わないというのは、知的レベルの低さの現れですね。渋谷や原宿はあれだけ若い人たちが押し寄せているのに、店はどんどん潰れていくんですよね。行くだけで、物を買わないからです。不況が日本人をバカにしてしまったんでしょうね。

 どうもこのひとには、現状の社会システムを問題視する視点が欠如しているようです。だから若者がお金を使わないのはバカだからだ、なんて平気でいえてしまう。

 こういう対話を読んであらためて気づくのは、「オタク第一世代は博識で目利きだった。それに比べて第三世代以降は「萌え」しかいえないバカばかりになった」という言説は、結局は凡庸な俗流若者論*3の一変形に過ぎないということです。

 かれらの理屈は、社会の矛盾点をすべて若者に背負わせてしまうあのお馴染みのロジックのオタク版に過ぎません。「オタク俗流若者論」とでも呼ぶことにしましょう。

 さすがに自分でも無茶なことをいっているかもしれないという自覚があるのでしょう。岡田さんは序文で少々言い訳がましいことを書いています。かれのウェブログには、この文章を引用する場合は全文転載するよう指示があるので、遠慮なくそうさせてもらいましょう。

 いかにカッコよくオッサンや爺さんになるか?
 これが本書の裏テーマである。
 オタクだマニアだ新人類だと言われてきた私や唐沢さんも今年で49歳。信長が死んだ年齢である。来年には恐ろしいことに50歳になってしまうのである。
 世間ではどういう定義になってるか知らないけど、私自身からすれば50歳なんてものはあきらかにジジイだ。「中年」を通り越して「初老」だ。
 そんなジジイが二人寄って「最近のオタクは」とか「マンガやアニメは」とか「萌えは」とか語るっていうんだから、こりゃどう見てもみっともない。少なくともダンディなモテ系オヤジが絶対にやらない企画であることは確実である。
 でもねぇ、私としてはこの対談企画、わりと気に入っているんだよね。そういう「みっともない」ところが。
 オタク文化は現在進行形の文化なんだから、そりゃその最前線は「14歳」だと思うわけ。いま現在14歳ぐらいのマンガやアニメのファンがいる位置が、オタク業界の最前線であり「いちばん面白くて活気のある場所」でしょ。間違いなく。
 だから、オタク系の評論とか発言というのは総じて「いかにオレは14歳の心を失ってないか」というイノセンス合戦になりがちなんだよね。政治的な発言にしても、作品論にしても「子どもの頃や読者としての瑞々しい感性を失わず」「いま、もっとも新しいムーヴメントを提示する!」とかね。
 でも、申し訳ないけどそういうの、あんまりカッコいいとは思えなくてねぇ。そういうスタイルも20代前半まではアリだと思うんだけどね。
 30超えたらなんというか身体性というか、「年齢積んだだけのナニか」って欲しいじゃない?無理やりに若ぶったり「最近の作品もフォローしてます」みたいな媚びた物言いじゃなくて、「オタクが枯れると言うのはこういうことだ!」というの、見せたいじゃない?あえて頑固ジジイという役割を引き受けて、「最近の作品なんかわからん!昔のは良かった!」みたいな暴論吐き散らかして、ちゃんと悪役だって引き受けてあげたいじゃない?
 少なくとも私は「そういう大人」になりたいと思う。いつまでも若者や若者文化にすがるのはみっともないと思うし、理解されようとか誤解されたくないと足掻くのはもっとカッコ悪い。
 オトナと言うのは「誤解を引き受ける」覚悟だと思うよ。「お前らがダメにした」と言われたときに「そうかもしれない。じゃあお前ら若い奴が頑張れ」って返して、でも心の中ではまだまだやる気満々の状態。それが私の考える「したたかな大人」だ。
 というわけで、この本の中には「したたかな大人(見習い)」の物言いがいっぱい入っている。まだ(見習い)だから、時々本気で話したりムキになったりしてるけど、ま、大人ってそんなもんでしょ。
 私は「オタクが大人になる」というのは、こういうことだと思うんだ。
 まだ若い君たちも、カッコいい我々を見習って、ぜひ「大人のオタク」になりなさい。
 以上。

 この文章をどう評価するからは読むひとしだいです。しかし、ぼくは「あえて悪役を引き受けている」なんて言い草を真に受けるほどひとが好くはなれません。

 ただ何か突っ込まれたときに「ネタにマジレス乙」といいはる余地をのこしておきたいだけでしょう。竹熊健太郎さんがいう「オタク密教」的な態度です*4

 岡田さんや唐沢さんが若年層をさげすむ理由は、どうもここらへんにひそんでいるように思えます。かれらはどこまでも「あえて」の世界の住人であり、ストレートに作品を楽しんでいる若いファンとは相性が悪いのかもしれません。

 それはそれで仕方ないけれど、よく知らないことには口出ししないほうがいいと思うな。いまさら何でもよくわかっているひとのふりなんてしなくても、だれも岡田さんたちをばかにしたりしないでしょうし。

 特にいまの唐沢さんみたいな立場になってしまうと、「あえてやっている」とかいっても、さすがに真に受けるひとは少ないと思います。

 いくら読者が「バカ」でも、ね。

オタク論!

オタク論!

*1:はてなブックマークhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tobunken.com/news/news20070801103444.html)を見ても、納得しているひとはほとんどいない。

*2:奇矯な内容の「トンデモ本」を捜し出して紹介する団体。『トンデモ本の世界』がベストセラーになり、有名になる。

*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%97%E6%B5%81%E8%8B%A5%E8%80%85%E8%AB%96

*4:オタク密教にかんしてはhttp://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1123.phpを参照。