オタク文化の大衆化は是か非か?

そんなことは分かっている上で「そちらのほうが平和なんだから、狭い範囲に閉じられているべきだ」という態度の人もいると思うし、僕はそういう態度を非難する気にはなれません。無駄に目立って、周りからの不理解に晒されるのが嫌だという気持ちは理解できる。いちいち説明したり誤解を解いたりする努力をするくらいなら、スルーして何事もなく済むほうがいいじゃないか。お説ごもっとも。

しかしですね、もうそういう態度が通用する時代ではない気がするんですよ。秋葉原が何度もTVに取り上げられるように、MADがアングラ→ニコニコになったように、自分の趣味に全く後ろめたさを感じない層がだんだん主流になってきているように。オタクは拡散の一途を辿り、この流れが逆転することはたぶん無い。

そして、僕はこの流れは健全なものだと思う。偏見を通り抜け、当たり前の趣味として受け入れられる時代へ。

 たぶんそうだろうなあ、とぼくも思います。でも、同時にオタク趣味に伴ううしろめたさとか、世間の偏見といったものが完全に消えてなくなることもないと思う。

 やっぱりある種の性的倒錯の側面が伴ったりすることもたしかなんで、100%世間の理解を得られるってことはないんじゃないかな。

 そしてまた、オタクだって何百万人もいれば、そりゃ、まともな人間ばかりというわけにはいかないに決まっている。そういうひとが何かしら問題を起こすことも絶えることはないでしょう。

 でも、そもそも「あたりまえの趣味」というものは、その嗜好をもたない者にとっては何がおもしろいのかわからなくて当然のものだったりするんじゃないでしょうか。

 ぼくの友人にガンマニアの男がいるんだけれど、端から見ていると何が楽しくてモデルガンなんかに大金をつぎ込むのか全然わからない。だって、一丁十何万とかするんだぜ?

 でも、本人にとっては人生に欠かせないものらしい。趣味とは、オタク趣味でなくてもそういうものなのであって、そのこと自体はもうどうしようもないことなんじゃないかな。

 たとえば、囲碁とか将棋が好きなひとだって、「若いのに趣味は囲碁かよvv」みたいな目で見られることはあるでしょう。

 そういう偏見はもう、どんな趣味を選んでも付いてくるものとして甘受するよりほかないんじゃないか。

 ただ、そういう側面はどうしてものこるにしても、それでも全体としてはオタク文化が一般化、大衆化の方向に進んでいくことも間違いない。

 あれだけアンダーグラウンド志向に見える腐女子文化ですら、やっぱり表に出てきている。

 新潟市ジュンク堂にはボーイズ・ラブ本ばかり数千冊(いや、もっとか?)並んでいる棚があるんですけれど、そこを見ると「もう隠れてやっていると主張するのも無理があるよなあ」と思ったりします。

 いや、「陰でこっそりやるからいいのだ」とか、「日の光なんて浴びたくない」という主張もわからなくはないですよ。でも、現実にあれだけの本が出版され消費されている事実を見ると、ちょっともう日陰の文化と呼ぶことは無理があると考えざるをえない。

 そのことのよしあしはともかく、現実としてもうそういう時代になって来ていることは認めないといけないと思うんですよ。

 もちろん、そのことであらたな軋轢が生まれたり、偏見にさらされたり、笑い者になったり、そういうことは起こってくると思う。

 ただ、それを避けるためにオタク文化をもとのアングラの闇のなかへ戻すということは、たぶんもう不可能でしょうね。その現実を受け止めた上で、じゃ、次はどうするかというところに来ていると思います。

 あと10年もしたら、『げんしけん』なんてさっぱり理解されなくなっているかもね。