オタク論と日本人論は似ている。

キノ:萌えって何か、意味を考えるとこそばゆい想いがするというか、ニュアンスを上手く表現できないことないですか。可愛い、とも違うし、エロイ、でもないし、うーん、と。

まきがい:実際には中身なんかないと思いますが。単なる感嘆詞。

キノ:何かすごく腑に落ちました、そうか、感嘆詞と考えれば、うん。

儀狄:「この感覚が自然と分かる人がオタク」という泉こなた定義はある意味正しい。

海燕:いや、わからないって言っている人はアニメもゲームも知らないからわからないのであって、名作どころを片っ端からやらせてみればわかるかもしれない。たとえば、映画見たことないひとが映画のおもしろさがわからないって言っても、そりゃ見てから言えよ、ということになりますよね。

まきがい:ああ、確かにアニメ見たことないひとが「あんなものの良さなんてさっぱりわからない」って言ったら普通に受け入れられそう。おかしいよね、

海燕:そうそう、おかしいんですよ。わからないに決まっている。やっていないんだから。それがなぜか「萌えは一般人にはわからないよね」みたいな話になっちゃうわけで。

まきがい:やったことのないエロゲを指してこういうものをやる人はこういう人間なのだ!って考察したり。それ妄想だから。

 というわけで、今日もチャットからネタを持ってきました(例によって読みやすさを考えて部分的に改変してあります)。

 ま、「オタク」にしか理解できない「萌え」という何かふしぎな感情があるとされているけれど、それってほんとなの?という話ですね。ぼくは胡散臭いと思うんだけれど。

 そりゃ、もちろん、じっさいにいろいろなアニメを見て、ゲームをプレイして、「どこがおもしろいのかさっぱりわからん」と感じるひともたくさんいるでしょう。

 でも、じっさいに作品を見てもいない、やってもいない人間が「わかんね」といっても、それは当然だろう、としか思えないよね。

 そして、ここらへん、「オタク」側にも、わかるはずがない、わかってたまるか、という心理が働いているんじゃないでしょうか。

 「オタク」のオタク文化に対する考え方は、日本人一般が日本文化に対する考え方によく似ているように思う。

 日本文学研究者のドナルド・キーンが、何かの対談でこう語っていた。日本人から「外国人でも俳句のよさはわかりますか?」と訊かれて、「はい。よくわかります」と答えると、あいては残念そうな顔をする、と。

 たぶん、ここで尋ねた側が期待しているのは、「日本情緒は日本人にしかわからない」という思い込みを追認してもらうことなのだろう。いわば日本文化特殊論であり、日本人特殊論である。

 同じ日本人として、この心理はよくわかる。たとえば、テレビで外国人が日本人に対して抱いているおかしな思い込みが取り上げられることがある。しかし、そういう番組を見て、まるで日本人のことをわかっていない!と、真剣に腹を立てるひとは少ないと思う。

 なぜなら、日本人にしてみれば、それが事実とはかけ離れた思い込みであることがあきらかだからだ。

 むしろ、そういう情報に触れて、「やはり外国人には日本人のことはよくわからないのだ」と考えて安心することすらありえる。外国人の偏見や無理解は、ある意味で日本人のアイデンティティを保障してくれるのである。

 しかし、やはりそれは幻想だろう。なぜなら、先述のキーンのように、日本人以上に日本文化を理解している外国人はいくらでもいるのだから。

 考えてみれば、日本にだってイギリス人以上にイギリスを理解している学者もいるのだから、当然といえば当然ではある。

 で、これと同じことが「オタク」に対してもいえると思うのだ。「オタクのことはオタクにしかわからない」という考え方は、やっぱり幻想なんじゃないでしょうか?

 そもそも「オタク」と「一般人」がそこまで明確に分けられるものだとは思えない。泉こなたみたいなオタク趣味に人生をささげたタイプは、いまや「オタク」のなかでも少数派だろう。

 そして、たぶん、これからさらに少数派に転落していくと思う。

 ニコニコ動画あたりを見ていると、その展開をほとんど皮膚感覚で感じることができる。たしかにニコニコでもディープなひとは信じられないくらい濃く趣味を突き詰めているんだけれど、200万ユーザーが皆そんな人種だとは考えられない。

 ごく単純に好きなアニメのMADを楽しんでいる「薄い」層が相当数にのぼるはずだ。「オタク」といえるかどうかも怪しいライトな趣味層。ぼくは決してその「薄さ」って悪いことじゃないと思うんだよね。

 もちろん、そういった「ライト層」の増加を嘆くひともいるだろう。その背景にあるものは、岡田斗司夫の『オタク学入門』に見られるような、オタクを階層的に捉え、「濃い」オタクのほうが偉いのだ、と考える価値観である。

 いまでもその手のひとはいるけれど、そういった、ぼくには差別的に思える価値観が崩壊していくのは、もうどうしようもないことなのではないか。

 たぶん、これからも「あいつらはアニメの作画の何たるかがわかっていない」とか、「ゲームの歴史を知らない」とかいう「ライト層」への批判は相次ぐでしょう。

 でも、そんなこと当然のこと。『ロード・オブ・ザ・リング』を見に行った全員が『指輪物語』の知識をもっていることがありえないように、『らき☆すた』を見ている全員が特撮番組の歴史に詳しいこともありえない。

 それでいい。それでこそ健全な状況である、とぼくは思う。オタク・イズ・デッド。そして、すべてはここから始まる。