「型」があるから「型破り」がある。


 脳内ギャルゲ100選(敷居の先住民)

 わ、バカだ。バカがいるぞ! 「おもしろかった作品」だけで100作挙げられるということは、「おもしろくなかった作品」は何作プレイしているんだろ。想像も尽きませんね。

 ま、しかし、ぼくのような常識的な一般人でも、こういうリストを見ていると楽しい。このリストを肴に3日くらいチャットで話せる(笑)。

 その数50近くに及ぶ注釈がまたおもしろい。「みつみ絵のヒロインが「あとは家に帰ってオナニーして寝るだけ」とか言うんだぜ?」とか、褒めているんだか貶しているんだかわからないコメントが散見されます。

 いや、本人は「凄いだろ?」といおうとしていると思うんだけれど、端から見ているとお前取り上げるところはそこかよ、と思わずにいられません。さすが「鬼畜系は健全すぎて退屈」とか言い出すひとは違う。

 ああ、それにしても、エロゲはやっぱりいいなあ。たぶん、小説や漫画で心の名作を100作ならべてみても、ここまでおもしろいリストにはならないと思う。

 きっと範囲が広すぎて個々の作品を比較しようがないからでしょうね。エロゲは基本的にはポルノ性という共通項があって、しかもそのなかで常識から逸脱しまくっている作品があるから見ていて楽しいリストになるのでしょう。

 この「逸脱」という言葉が、ぼく的にはエロゲを語るキーワードのひとつ*1。ま、エロゲってやっぱり低予算のものが多いから、基本的には家庭用のゲームほどの品質は保証されていないんですよ。

 1980円のダウンロード商品とかならそれほど損をすることもないだろうけれど、どうしようもない作品はほんとにどうしようもないですからね。

 そこまで行かなくても、やはり凡庸な作品は多い。そんなに出色の傑作がごろごろ転がっているわけじゃない。ただのぬるい恋愛ものとかね、そういう平凡なものが大多数を占めているはず。

 ぼくは、そういう凡作がかならずしもきらいじゃない。ただ、そんな作品ばかりではとても満足しきれないこともたしか。

 そこで、エロゲの常識を無視しまくり、ユーザーの期待も無視しまくり、ひたすらわが道を行くソフトを選ぶことになる。『らくえん』とか『らくえん』とか『らくえん』とか。

 でも、そういう作品もやっぱりただのエロゲに過ぎないことも事実なんだよね。そういう少数の「型破り」の作品と、大多数の「型通り」の作品がモザイクを成してエロゲの世界を作り上げている。

 たぶん、どちらか片方だけでは業界は成り立たないのでしょう。そしてこれはエロゲだけじゃなくて、ある一定の「型」をもつジャンルすべてにいえることなのだと思う。

 何かの本で読んだんだことがある。『今日からマ王!』のシリーズでブレイクした喬林知さんが、昔、ボーイズ・ラブものを書いていたけれど、どう書いてもラブにならず、ギャグになってしまった。ボーイズ・ラブならぬボーイズ・ギャグだった、と(笑)*2

 才能があるひとというのは、そういうものだと思うんだよね。お仕着せの「型」に収まりきらない。たとえ本人にその意図がなくても「型破り」になってしまう。

 そういうひとにとっては、明確な「型」のあるジャンルで書くことは、決してハンディにならない。むしろ、「型」がある状況でこそ、その才能がかがやくことすらある。

 サミュエル・R・ディレイニー通俗的スペース・オペラの「型」を使って「エンパイア・スター」を書いたように。

 あるいは、スティーヴン・キングがありきたりの吸血鬼小説の「型」を使って『呪われた町』を物したように。

 ただ、そういう「型破り」の作品があまりに相次ぐと、「型」そのものが崩れてくることもありえる。最初から「型」に対する愛情も理解もない作り手が参入してきたりね。思えば、新本格ミステリ末期の「脱本格」の流行はそれに近いものがあった。

 一見どれだけ凡庸に見えるとしても、やっぱり「型」を守ることは無意味ではないようです。「型」を貫き通した先の前衛、というものもありえると思いますし。

 エロゲ業界も、いつまでいまの状況が続くのかはよくわからない。そしていまも妙に才能がある作り手が惹かれて来るような状況にあるのかどうか、外からでは判断できない。

 これからも、たとえ偉い人に評価されなくても痛快なゲームがたくさん出てくるようなら嬉しいけれど、ひとつの時代はいつまでも続かないもの。いつかはこの世界も変質していくのでしょう。

 それはそれで、悪くない。まったく。

*1:まきがいさんは、エロゲと一般向けのギャルゲをまとめてギャルゲといっているようですが。

*2:喬林さんのエピソードだと思ったけれど、もし違ったらごめんなさい。