- 作者: 香山リカ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/04/19
- メディア: 新書
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とはいえ、そう言われて、「では、売れるほうも優先させたいので、幼児への性犯罪には目をつぶりましょう」と答える人はいないだろう。多くの人は、「売れることと社会が安全なことが両立しない場面が来たら、とりあえずは安全を選ぶべきだ」と考えているのではないだろうか。もしそうだとするならば、「萌え」産業の担い手やそれを推進している政府は、どこかで「こんなものを作ってはいけない」と自制心を持つべきだろう。
なげかわしい本を読んだ。
香山さんの本を読むのはずいぶんひさしぶりですが、最近はこんなものを書いていたのか。いくら新書の品質低下が嘆かれるご時世とはいえ、さすがにこれはないんじゃないか。
全編ツッコミどころの嵐、ほとんどネタとしか思えない牽強付会をくり返しては、「日本人は劣化しました」と結論付ける、もう何だかめちゃくちゃな本である。
とにかく「日本人は劣化したのだ」という結論が先にあって、あらゆる事実がそこに結び付けられていく。
たとえば、新聞の話がある。香山さんによれば、新聞の文字は読みやすさを考慮して年々大きくなってきている。それに合わせてページを増やしたわけではないから、これは新聞全体の情報量が減ったということだ。
ところが、そういうふうに内容が減ったにもかかわらず、若年層は新聞離れを起こしネットばかり利用している。どういうことだろう。
「新聞よりネット」と考えている人たちが、「活字が大きくなった新聞には魅力がないから」という理由でネットに流れているとは、考えにくい。つまり、活字がどんどん大きくなり、全体の文字量や情報量も減っているにもかかわらず、それ以上のスピードで「新聞はむずかしくてわかりにくい」と考えて〝新聞離れ〟を起こす人たちが増えている、ということなのだ。
いやいやいやいや。何でだよ。ただ単に新聞の内容に魅力を感じなくなっただけかもしれないじゃん。もしくは生活における新聞の必要性が薄れたとか。
そもそも新聞の内容と単純な文字量は関係ない。文字は大きくなり、情報量は減ったとしても、内容そのものはむずかしくなっているかもしれないじゃないか。
この本、とにかく全編この手のロジックが続くのである。この日記の読者にとって興味深いと思われる話題としては、テレビゲームの話がある。
香山さんは最近、大作RPGの人気が衰え、「お手軽な」脳トレ系のゲームが売れる現状を嘆いてこう書く。
また、モラルに欠けた自分勝手な人たちには、自分が得をすることで他の人が犠牲になることへの想像力が欠けている、という特徴もあった。お手軽なゲームに飛びつくことじたいで他の人が犠牲になることはないが、ただ、急速に人気が落ちたRPGには、先にも指摘したとおり、他の仲間や敵の心情までを想像しなければ謎が解けない、という場面も少なくない。
RPG離れの背景には、こうやって他者の心のうちを想像したり、相手の立場に立ってみたり、というのが面倒くさく感じられる、あるいはそうしようとしてもできない、という人たちの増加が関係しているのではないだろうか。
していないしていない(笑)。本当にそんな理由でRPGが衰退したのだとしたら、ひとに気を遣ってやり取りしなければならないオンラインRPGがはやったりするわけないじゃん。
そもそもRPGが売れなくなったのは日本人が劣化したせいだなんて、そんな無茶な。ただたんにマンネリ化した内容が飽きられただけなのでは。
しかし、香山さんによれば、最近の脳トレ系のゲームは、「壮大な物語世界の中に放り込まれてさまざまな困難に立ち向かい、謎を解きながら先に進むRPGとは、その厚みがまったく違う」のだから、日本人が劣化してしまったことはあきらかなのである。
でも、昔のファミコン時代のゲームだって大概薄っぺらだったと思うのだが、あの頃も日本人は劣化していたのだろうか。
彼女はこの調子で政治も経済もやっつけていく。あれも劣化。これも劣化。しかも恐ろしいことにほとんどデータは示されず、たいてい、「わたしの知りあいがいっていたのだが」という調子の伝聞をもとに話を進めていくのである。
彼女にいわせれば、仮想空間「セカンドライフ」が開発されたことも劣化のしるしだ。たしかにいまのところこの空間には現実世界の劣化は見られないように思われる。モラルも高く、マナーも守られている。
しかし、それでも、「あるいは、現実の社会、人間の劣化が止めようもないくらい進んだからこそ、この「セカンドライフ」が移住先として熱望された、という解釈も可能だ」。
どう見ても不可能です。本当に(略)。何でアメリカのサービスが日本人劣化の根拠になるんだよ。どうしてそこまでしてむりやり「劣化」と関連づけるかなあ。
そして、当然のように「萌えバッシング」へ話は流れていく。彼女にとっては、「「稼ぐが勝ち」「売れるものはよいもの」という市場主義的な考え方が作り手、受け手、そして国家にまで無条件に歓迎されて生まれたもののひとつが、「萌え」産業だと考えられる」らしい。
こういう萌え文化を広めるにあたっては、「売れに売れる「萌え」アニメの影響を受けてそれを実行してしまう人の存在までを想定されていなければならないはず」だ、と彼女はいう。
どうも、香山さんのあたまのなかでは、いやらしい萌えアニメを見ているようなやからはみんな幼児性愛者で、いつか性犯罪を起こすことは自明のことらしいのである。
そして、経済と安全のどちらを取るかという状況になったら、「「では、売れるほうも優先させたいので、幼児への性犯罪には目をつぶりましょう」と答える」ひとはいないのだから、「「萌え」産業の担い手やそれを推進している政府は、どこかで「こんなものを作ってはいけない」と自制心を持つべき」なのだそうだ。
えっと、みんな、怒っていいよ。ここは怒ってもいいところなんじゃないかと思う。
うーん、むかしの香山さんはこんなことをいうひとじゃなかったと思うんだけれど、どうしてこう変節してしまったんだろ。それとも、むかしからこんな考え方で、ぼくにそのことを見抜く目がなかっただけなのか。
この本だけ手を抜いていいかげんなことを書いたというわけでもないだろうし、これじゃ、どこぞの「フィギュア萌え族」の偉いひとと同じレベルじゃないか。
嘆きのあまりひどい長文を書いてしまった。やれやれ。
もちろん、この「劣化力」は私自身にも忍び寄っている。私が完全に「劣化」してしまう前に、この本が書けて本当によかった、といまは思っている。
――本書あとがきより