レイプ・イン・ベルリン――『1945年・ベルリン解放の真実』

1945年・ベルリン解放の真実―戦争・強姦・子ども

1945年・ベルリン解放の真実―戦争・強姦・子ども

  • 作者: ヘルケザンダー,バーバラヨール,Helke Sander,Barbara Johr,寺崎あき子,伊藤明子
  • 出版社/メーカー: パンドラ
  • 発売日: 1996/09
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 116回
  • この商品を含むブログ (3件) を見る

 性愛の温かい感情というもの、愛情にせよ、ちょっと惚れたというだけの感情にせよ、そういう感情は彼女の人生を豊かにするものでした。性的な親密さへの欲求ももっていました。それは、「幸せ」だったのです。
 それなのに、いまでは、そんなことを思い出しただけでぞっとします。体をふれあいたいという欲求は、もはや永久に取り戻すことができなくなってしまったのです。

 おもしろかった。異常な迫力に満ちた一冊である。

 「1945年・ベルリン解放の真実 −戦争・強姦・子供−」というタイトルからもわかるように、著者はソ連軍侵攻による「解放」の影で起こった大量強姦事件に焦点をあて、埋もれた歴史を掘り返している。

 否、「埋もれさせられた歴史」というべきか。それはベルリンを「解放」した「解放軍」が、その大層な大義の裏側でどれほどの暴虐を働いたかという悪夢の記憶である。

 侵攻軍によってレイプされたドイツ人女性の数は、最小に見積もっても、およそ200万人に達するという。

 もちろん、正確な人数など測りようもない。しかし、病院にのこされた記録や、被害者の証言などから、ある程度は推測できるのだ。そして、そのうち何万人かが自殺した。

 この20世紀最大の大量強姦事件は、どのように実行に移されたのだろうか。ごく一部の狂的な人物が軍規を無視して実行したのか。

 否。兵士たちは徒党を組んでやった。ひとりが見張りをつとめ、のこりの兵士たちが順番に襲いかかっていく光景が、ベルリンのいたるところで展開された。

 少女から老婆まであらゆる年齢の女性が犠牲になった。ほとんどこどもとしか呼べないような歳の娘たちまでのこさず犯され、結果として「会陰が肛門まで裂けていた一○歳から一六歳までの少女たちは、病院で縫合しなければならなかった」。

 兵士たちは女たちを殴りつけ、機関銃を突きつけ、順番を守って犯していった。当然、避妊など考えるものはいなかったに違いない。結果として、戦後のドイツでは大量の混血児が生まれることになった。

 神がいたならば、かならずいかずちを降らせたことだろう。しかし、神はどこにもいなかった。

 男たちは? ドイツの男たちは命懸けで自分の妻や恋人を守ろうとしたのだろうか。

 そうではなかった。ごく少数の例外を除いて、男たちはただひたすらおびえ、かくれるだけだった。そして、自分の妻が犯されると、彼女たちの「裏切り」を非難した。

 この事実は、ただでさえ傷ついた女たちの心をさらに深く傷つけた。そしてまた数しれぬ女たちが命を断った。

 男たちはときに自分の名誉を守るために女たちを殺した。結局、かれらにとって女とは自分の所有物であり、それがロシア人に汚されたという事実は耐えがたかったのだろう。

 ある意味で、征服者であるロシア人と、被征服者であるドイツ人とは、共犯関係にあったといえる。

 それでは、このとき、見ず知らずの女たちを殴りつけ犯したソビエト軍は特別野蛮な軍隊だったのだろうか。

 これも違う。その証拠に、ソビエト軍ほど大規模ではなかったにせよ、フランス軍アメリカ軍の兵士も「やった」。そして、被害者たちの夫や恋人をふくむドイツ軍の兵士たちも、その侵攻先で「やった」のである。

 何とも心なごむ話ではないか。結局、これが世の男性という生き物の、少なくとも一面ではあるのだ。こういう話を知りたくて、本を読んでいるぼくである。

 さて、このときのソビエト軍の兵士たちが悪魔の集団であり、ぼくらとは別世界の人間だと思われると困るので、もうひとつ挿話を引用しておこう。

 装填した銃を突きつけられたまま強姦されたマルリーネ・フォン・ヴェルナーという女性は、自分の隣でねむりこんでしまった若い兵士を見守るうちに、自分でも想像もしていなかった感情を憶える。

 それに続くわたしの行動は自分でも驚いたものだが、生存本能のみというよりむしろ優位を占めていたのは、それ以前には覚えたことのないような強い母性的な感情であった。屋敷の図書館でトルストイゲーテに囲まれ、ローソクの光の中でわたしの胸に頭をもたせて眠りこんでしまった兵士は、実際、悪意あるボルシェヴィキの復讐者には全然見えなかった。まるで内気な、家が恋しい子どものようだった。だからグロテスクに聞こえるかもしれないが、初めはためらいながらも、しだいに自分でも思いもかけなかった優しさで、その頬を何度も何度もさすってやらずにいられなかった。剃り方はまずく、少しばかり痘痕があった。しかし、わたしの両手の中で、おずおずと、無理強いではなく、小石をひとつずつ積み重ねるように、東と西との歩み寄りのきざしが形をなし始めたのだ。

 どれほど悪魔的な非道を行ったとしても、ひとりひとりの兵士は悪魔ではなく、人間であった。ぼくや、あなたがそうであるように。このことを忘れるべきではないだろう。決して。