主人公にならなくてもいい。

 なんかまるで自分に絶望しているかのようなこと言ってるけど、実はそうでもなかったり。「ああ、これ(こいつ)は掛け値なしにホンモノだよな」ってものを横から眺めてるのって、楽しいんだよね。それだけでじゅうぶん満足を感じてて、ちっとも不満に思わない*3。まあできればそういう人を手助けするなりなんなりで関わりを持てたらベストなんですけどね。きっと自分は一生ホンモノにはなれないだろうけど、これはこれで、けっこう悪くない人生なんじゃないかと思ってたりするのです。好きレベル100のものなんかなくても、世の中面白いもので溢れてる。たいした悩みもないし普通にしあわせ。


 いまではほとんど忘れ去れているが、飛火野耀という作家に、『イース −失われた王国−』という小説がある。

 ノベライズでありながら、原作の内容をほとんど無視した、一風変わった青春小説だ。

 この物語の結末で、勇者アドル・クリスティーンは、女神フィーナからひとつの仕事を仰せつかる。この世のあらゆる秘密が書かれた「イースの本」解読の任である。

 その本はあまりにも深遠無辺である上に、その秘密を読み解いたものは神にも等しい力を得る。そのため、あまり多くのものに読ませるわけにはいかない。選ばれたただひとりが一生をかけて読み解くのである。

 フィーナはそのひとりにアドルを選んだ。ところが、アドルはその仕事を断り、放浪の旅に出てしまう。かれにいわせれば、この世界そのものが一冊の本のようなものなのだ。

 そう、書斎で本を読み解くのも、世界を旅して真実を見出すのも、本質的には同じこと。どちらも、好奇心と探究心の問題である。

 この考え方に共感する。偶然にしろ、ここに生まれ落ちたからには、少しでもこの世界のことを知りたい。おもしろいものやめずらしいものをたくさん見てから死にたい、と思う。

 そのために旅行に出るひともいれば、科学を学ぶひともいるだろう。ぼくは物語を通すやり方が好きだ。この世界には山のように物語があふれている。まず、一生や二生は退屈する心配はないと思う。

 もちろん、ぼくには新たに物語を生み出す才能はないし、物語の主人公になるような資質もない。でも、そもそもあまり主人公になどなりたくはないのだ。

 ただ見るだけ、読むだけでも十分楽しい。ひとはひとつの人生しか生きられないが、無数の人生を読み、見ることが出来るのである。その喜び。

 この世界には「読者」であることに満足できないひともいる。他人の物語に自分を投影するひとも少なくないらしい。ぼくにはあまりそういう欲望はないと思う。

 ただ読み、ただ知りたい。自分のことにはあまり興味がない。自分よりおもしろい人生を生きた他人にこそ興味がある。

 ほんとだよ。

 結局わたしは傍観者 〝本を読んでる一少女〟かしら

――『森にすむ人々』