『男たちの大リーグ』

男たちの大リーグ (宝島社文庫)

男たちの大リーグ (宝島社文庫)

 ウィリアムスは暇さえあれば、ビジター・チームの選手にもアドバイスを与えた。タイガースとレッドソックスが対戦すると、タイガースの若手アル・ケイラインとバッティングについて延々と話をし、助言を与えた。とうとうレッドソックスのオーナーのトム・ヨーキーが見かねて「敵を助けるようなものだからやめてくれ」と言い出した。するとウィリアムスは答えた。
「とんでもないよ、ヨーキーさん。いいバッターが増えれば増えるほど野球は面白くなる。いいかい、球場にやって来るとき、二ブロックも手前からものすごい歓声が聞こえることがある。それはピッチャーがストライクを投げたからじゃなくて、バッターが打ったからさ」
 最後にはヨーキーが折れてウィリアムスの言うことを認め、敵のバッターにバッティング・セミナーを続けることを許した。

 特別な夏がある。

 そのときはだれもそうとは気づかない。いつもと同じ、あるいは少し違うだけのありふれた夏、そうとしか思わない。

 皆、あとになって振りかえってみて、初めて悟るのだ。それこそは特別な夏、二度とは来ない奇跡のような黄金のひと夏だったのだと。

 アメリカ野球界にとって、1949年の夏期は、そんな特別な季節だったように思える。少なくとも、本書の著者デヴィッド・ハルバースタムはそう考えていたようだ。

 本書『男たちの大リーグ』の原題は「49年の夏」、ハルバースタムは綿密な取材の上に自在な想像力を働かせ、思い出の夏を紙上によみがえらせている。

 ふたりの主人公をご紹介しよう。ひとり目は、ジョー・ディマジオ。名門ニューヨークヤンキース不動の四番打者。

 かれは貧しい移民の子でありながら実力によってヒーローに成り上がり、その偉大な業績とともに誠実な人柄で知られていた。口の悪いマスコミの男たちですらディマジオを尊敬してやまず、かれに軽蔑されることを怖れた。

 のちにサイモン&ガーファンクルのサイモンは、アメリカが素朴だった頃を象徴することばとして、かれの名を歌詞に織り込んだ。「どこへ行ってしまったの、ジョー・ディマジオ? 国中があなたに寂しい目を向けているのに」。

 一野球選手の次元を超えた、古き良い時代の象徴。それがディマジオだった。41年に達成した56試合連続安打の大偉業は、いまにいたるも破られていない。

 ところが、この年、ディマジオは怪我に泣かされることになった。自分をいためつけることを怖れぬ献身的なプレイのなかで、英雄は瑕を負ったのだ。歩くことすら激痛をともなった。引退がささやかれた。

 しかし、その2ヶ月ののち、ディマジオは苦境を乗り越え、1試合4ホームランという劇的な復活を果たすことになる。まさにかれこそはヒーローにふさわしい男であった。

 もうひとりは、テッド・ウィリアムス。ボストンレッドソックスを牽引する天才打者。大リーグの長い歴史に於いて、いまのところさいごの4割打者である。

 その年、最終日を控えて、ウィリアムスの打率はわずか0.0003だけ4割に足りなかった。監督はかれに最終日の欠場を薦めた。記録上は端数は四捨五入されるため、このままでもウィリアムスは4割打者になれるのだ。

 その忠告に従っても、だれもかれを侮りはしなかったに違いない。ところが、ウィリアムスはこの親切な申し出を断った。かれはあたりまえのように最終日に出場し、そこで8打数6安打と打ちまくって完全無欠の4割を達成したのだった。

 ウィリアムスはディマジオとは対照的に頑固で生意気な問題児だったが、その才能は疑いようもなかった。その当時の大リーグ全体を見回しても、不滅のディマジオに匹敵する打者といえば、かれのほかにいなかっただろう。

 そして、その年、この二人に率いられるヤンキースレッドソックスは球史にのこる激闘をくり広げた。

 あとから見れば、それはラジオエイジたそがれの年であった。選手の欠点までそのまま映し出してしまうテレビが進出しはじめ、野球選手が真に神話的な存在であれた時代は終焉を迎えようとしていた。

 そしてまた、アメリカそのものも、在りし日の素朴さを失いつつあった。ハルバースタムは、綺羅星の如きヒーローたちのみならず、その家族、関係者、ファンまでふくめて描き出すことによって、この時代そのものをスケッチしてのけている。

 ディマジオ人気を影で支えたラジオ解説者メル・アレンのエピソードは印象的だ。

 あるとき、あの「鉄人」ルー・ゲーリックがかれのもとを訪れ、アレンの放送を大いに気にいっている、と褒め称えた。

 「なあ、メル、これまではちっとも聞いたことがなかったんで、お前の放送の大切さがわからなかった。けど、今、おれがなんとかやっていかれるのは、お前の実況中継のおかげさ」。

 アレンはその場を辞して廊下の先まで行き、泣き崩れた。

 ほかにも、興味深いエピソードは数かぎりない。いや、ほんとの話、この本はめちゃくちゃおもしろいので、皆、読め読め。

 この本を読めば、松井が打つヤンキースや、松坂が投げるレッドソックスが、どのような歴史を背負っているかがわかる。なぜアメリカ人があれほど大リーグに熱狂するのかがわかる。

 これは特別な夏の物語である。それは遠い昔のことであり、二度と訪れることはない。そして、いまはこの本のなかにしずかにねむっている。

 ハルバースタム自身は先月、惜しくも交通事故で亡くなった。享年、73歳であった。