『アトラク=ナクア』

アトラク=ナクア 廉価版

アトラク=ナクア 廉価版

 『アトラク=ナクア』。

 アリスソフト往年の名作である。もともと単独で発売された作品でないため、決して大作とはいえない。ゆっくりとすすめても、まず、10時間とはかからないはず。

 しかし、その完成度は凡百の作品を寄せつけない。ひと口に名作といっても、さまざまな作品がある。その語り口の妙でひとを圧倒する作品。その絵柄の美しさで見るものを魅了する作品。あるいは、音楽の妙なる調べで聴くものの心を潤す作品もあることだろう。

 『アトラク=ナクア』はそのすべてをかねそなえている。しかし、この作品に於いて何よりも印象的なのは、主人公の存在感である。

 ほっそりとした肢体を古風なセーラー服に包んだ少女、比良坂初音。否、彼女を少女と呼ぶことはできないだろう。なるほど、その見た目はうら若き美少女にほかならない。しかし、その瞳に宿るものは400年の時を閲して年老いた魂である。

 それほどの長い時を、ひとの精気を啜って生きのびてきた女郎蜘蛛、それこそ初音の正体だ。

 彼女をつけねらう宿敵、銀(しろがね)とのたたかいに傷ついた初音が、長い長い眠りから目ざめ、ある学園に彷徨いこんでくるところから物語は始まる。

 銀から隠れる場所をさがす初音は、ある時、男たちに輪姦されている少女を助ける。正義感からではなく、ほんの気まぐれから。

 いかなる悪人よりも邪悪な初音に、善意などあろうはずもない。ただ、この可憐な少女を飼いならすことに、ほのかな興味を見出した、それだけのこと。

 永遠を生きる初音にしてみれば、ほんの些細な遊戯に過ぎないはずだった。ところが、この少女、奏子(かなこ)の健気で一途な想いは、初音の思惑をも超えて、彼女の運命を変えていく。

 そして、物語は、幾多の悲劇を生み出しながらも、初音と銀との壮絶な決戦へと突き進んでいく――。

 少女同士の恋愛を描いているという一点を見るなら、この作品はいわゆる百合ものに属することになるだろう。しかし、あえてこの作品をそのフレームに収めることはしたくない。

 何より、この作品に於いては、初音をとりかこむ男性陣もまたきわめて魅力的である。特に奏子に思いを寄せる少年、和久のことは忘れがたい。ほかの物語であったなら、かれも主人公になれたかもしれないと思うほど、その印象はあざやかだ。

 また、初音に追いすがる僧侶、銀もまた強烈な人物だ。その力は初音を凌駕し、どこまでもどこまでも彼女を追ってくる。その秘められた心がさらされると供に、さいごのたたかいの幕があく。

 ただ、それらのすぐれて個性的な群像も、初音の圧倒的な存在感をまえにしては霞んでしまうことも事実。それほどに初音の人物像は傑出している。

 邪悪な、淫蕩な、非情な女郎蜘蛛。彼女はその力を快復するため、学園の少年少女たちを誘惑し、毒牙にかけていく。あなたがこの物語を読んだなら、何の罪もない学生たちが、初音に誘われ、操られ、たおれていくさまを目撃することになるだろう。

 この物語に勧善懲悪の理はない。どれほど善良な若者であっても、力弱ければそれまで。学園にはりめぐらされた蜘蛛の巣にとらえられ、そこで一生を終えることになる。

 初音はかれらの人生に頓着しない。正義感にあふれる少年も、はずむように歩く少女も、初音の目を通せば、ひとのすがたをした餌に過ぎぬ。

 既に初音の心は善悪の彼岸に到達している。ただ自分の力をみがくことだけが彼女の望みなのだ。

 しかし、本当にそうだろうか。その凍りついた瞳の奥に、ふしぎと優しい心が垣間見えないだろうか。初音の奴隷として飼われながら、奏子はそんな初音に惹かれていく。

 彼女もまたあらゆる正義に見捨てられた身。その苦しみを救ったのは、初音の悪だけであった。

 そして、初音のかくされた真実が明かされるとき、物語は最終章を迎える。その興奮! いや、じっさい、これくらい盛り上がる展開はない。

 ある意味でひとを選ぶ作品であることはたしかだし、低予算製作だけにあらも少なくない。しかし、それでもなお、ぼくはこの作品が真の名作だと信じる。

 その悲愴な結末はいまも胸に迫る。いまなら廉価版で安く入手できる(実売価格は2000円程度だと思う)ので、これからエロゲを始めようとしているひとにお奨め。

 時を経ても、翳りを見せないその魅惑が、あなたの心を捉えんことを。