『イン・ザ・ペニーアーケード』

 ある晴れた冬の朝。

 少年が目を覚まし、何気なく窓の外を覗いてみると、そこに奇跡の光景が広がっている。昨夜目にした景色がどこにもない。真夏のような青空の下、見渡すかぎり広がるのは、うねる波までそなえた白銀の海。雪が降ったのだ。

 その歳の少年にのみ許された歓喜につらぬかれ、うきうきと街をねり歩く。街角のそこかしこに、見なれない純白の彫刻が目に付くことに気づく。

 細部に至るまで情熱をこめて形づくられた雪の彫像。ありふれた雪だるまの次元をはるかに超えた、精緻な芸術品である。

 はじめは稚拙な雪のかたまりに過ぎなかったものが、対抗意識に駆られた模倣合戦のうちに進化したのか? あるいは、どこかの天才的なこどもが奔放な想像力のままに作り出し、ほかの者が必死にそれを真似たのだろうか?

 いずれにせよ、それが始まり。

 時を経ずして雪人間は雪の動物たちへと姿を変え、二日めには雪の樹木が生み出される。冬のあざやかな陽射しを受けて、純白に照り光る雪のカエデ、雪のモミジ。ありふれた街並みのなかに、ありえないほど神秘的な雪世界が生み出されていく。

 そして三日目、遂に雪像は現実の地平を乗り越え、雪の幻獣たちを生み出すに至る。雪の有翼獅子、雪の一角獣、雪の海大蛇、幻想の博物誌にのみその名を記載されるふしぎな生き物たちが、雪の彫刻家たちによって作り出されていく。

 スティーヴン・ミルハウザー「雪人間」は、そんな筋書きの短篇である。掌編といってもいいほど短い物語だが、ここにはミルハウザー独自の個性がある。

 幻想美、芸術礼賛、細部への終着、そして現実の重力を離れて飛び立とうとし、遂には果たせず地に堕ちるものへの愛惜。

 雪彫刻たちは、終末の四日め、運命のように降りそそぐ雨のなかに崩れ去っていく。あとにのこるものは、わずかに元のかたちを留めた、泥まみれの雪だまりだけだ。

 もしも動的な小説と静的な小説というものがあるとするなら、ミルハウザーの作品は後者に属するだろう。かれの小説世界に、ひたすらに読者を先へ、先へと引きずりまわすようなベクトル性は感じ取れない。

 巻末の「東方の国」に至っては、一般的な意味での物語性は放擲され、ただひたすらに幻想の東国がスケッチされつづける。ここには名前のある人物すらいない。ただ、そのイメージの美しさがすべてだ。

 それでいて、かれの小説に、自らが生み出す幻想美に酔う甘さはない。ミルハウザーはさまざまな幻想芸術を生み出しながら、その幻想が現実に打ち負かされるさまを、天才芸術家の栄光と敗北を、ひたすら冷静に観察する。

 ピュリッツァー賞受賞を冷ややかに受け止めたというエピソードもむりもない。現実世界からとどく拍手の音など、幻想世界に生きるミルハウザーにとって、窓をたたく雨音ほどにも心に響かないに違いない。

 かれ自身もまた、かれの生み出すアーティストたちと同じく、この世を仮の住処と定めた彼岸の住人なのだろう。

 クールでロマンティックな傑作短編集である。