9割を基準に全体を語るな。

 俺もオタクのたしなみとして、エロゲも数本プレイした経験がある。エロゲの共通項としてヒロインキャラのパターン化がよく言われるが、むしろ主人公キャラクターにこそ共通項があるような気がしてならなかった。

 どの主人公も、性欲を持つ事も無く女の子を口説こうとかモテたいとか思うこともなく、めんどくさがりで、好きなことをやってるだけで、モテるというわけでもないが特定の女の子(多くは幼馴染みという設定)に付きまとわれてて、別にそれを迷惑とも嬉しいとも思ってなくて、なんだか誰にでも優しくて、ちょっと上から目線なのに誰からも妬まれたり疎まれたりもせず、なんとなくその場に受け入れられてる。そんな感じじゃないか。

 そういうエロゲはまあ、いくらでもあるよね。でも、そうじゃないエロゲもある。

 いまぼくがプレイしている『SWAN SONG』の主人公、尼子司は挫折した天才ピアニストだ。

 かつては世界的に注目を集める天才少年だった司は、あるとき、交通事故でその技術を永遠に失う。しかし、その後もあきらめることなく不毛なリハビリにいそしむ。

 感情表現が下手で、一見すると冷徹に見えるが、その実、その無表情な顔の下では実にいろいろなことを考えている。ちょっとひと言ではいえないくらい複雑な人物だ。

 まあ、群像劇的なスタイルが採用されているから、正確には司ひとりが主人公とはいえないんだけれど、ほかの人物も同じくらい深く内面が掘り下げられている。

 これはもう、「エロゲにしては」リアルだとか、よく出来ているという次元じゃないですね。客観的に見て、カタストロフィ・テーマの作品として、出色の出来だと言っていいと思う。

 最近、漫画業界ではつづけざまに大災害ネタの作品が発表されたけれど、ほとんどは『SWAN SONG』に比べると生ぬるい。

 こういうエロゲも、ある。

 まあ、たしかにこういう作品は数少ない「例外」かもしれない。でも、それをいうなら『Kanon』も『AIR』も『Fate』も皆、例外である。ほかのエロゲと全然似ていないもん。

 そもそも、ある文化を語るとき、「例外」を無視しちゃったら成立しないと思うんだよね。たとえば少年漫画を語るとき、『DEATH NOTE』を例外として除外したら成り立たないように。

 なにごとも90%はクズである、というあのスタージョンの法則に従うならば、マンガもアニメもラノベもエロゲも皆、90%はクズである。

 でも、ぼくなんかは「のこり10%があるんだからいいじゃん」と思う。どうせその90%はいずれは忘れられていく運命なんだから。

 以前から思っていたんだけれど、ある作家や作品について語るときは、その最高傑作を基準にして語るべきなんじゃないか。

 90%の凡作を取り出して、ほら、下らないじゃないか、と言っても意味はない。10%、あるいは1%かもしれないが、そのスペシャルな作品を基準に語るべきだ。

 それこそがそのジャンルを代表する作品なのだから。