『舞姫(10)』

「わたし もう一度バレエ… 踊りたい!」

 時がとまる瞬間がある。

 才能ある音楽家の演奏を耳にしたときや、古い詩の一節を目にしたとき、あるいは目の前に迫った恋びとの瞳に、晴れわたる青空を見つけ出す、その奇跡のような一瞬かもしれない。

 何か神がかって美しいものと出逢った瞬間、時間はゆっくりとその歩みを止め、ぼくらは静止した世界のなかに、ひとり呆然と取りのこされることになる。

 ぼくにとって、山岸涼子の『アラベスク』は、そんな「時を止めた」作品のひとつである。

 およそ表現の芸術性という一点に於いて、この作品に比肩しうる漫画を知らない。

 突然に音楽が止み、周囲が慌てふためくなかで、ノンナがごく自然に「ラ・シルフィード」を踊りぬく、あの戦慄的な一場面、ぼくはたしかに時間が静止する瞬間を目撃したのだった。

 山岸涼子が「ダ・ヴィンチ」紙上で『舞姫』の連載を始めたとき、『アラベスク』の名前を思い浮かべて疑問を抱いた読者は少なくないだろう。

 かの作品は、たんに山岸涼子ひとりの代表作という次元に留まらず、日本漫画史上に突兀と屹立する美の巨峰そのものでもある。

 はたして「あの」山岸涼子といえども、おなじバレエというテーマで、もう一度あれほどの傑作を生み出すことが出来るものなのだろうか、と。

 しかし、物語が第一部完結を迎えたいま、ぼくはすべての心配が杞憂に過ぎなかったことを実感している。

 『アラベスク』から三十年を経て、いま、山岸は自分自身の過去を乗り越えようとしている。

 およそ十年の月日をかけて、『残酷な神が支配する』を完結させた萩尾望都もそうだが、いったい彼女たちのこの活力は何処から来るものなのだろう。凡夫としてはただ感嘆するばかりだ。

 それにしても、第一巻の段階でこの展開を予想しえた読者がいるだろうか。

 はじめ、作者は若く才能あふれる姉妹の成長を描こうとしているように見えた。

 情熱的で天才肌の姉と、臆病だが個性的な妹。それぞれの個性を発揮し、切磋琢磨しながら成長していくふたりの半生を綴っていくつもりに思えた。

 それなのに、そのありきたりの予想は、この巻で暗い断崖へとおちて行く。

 だれも予想しなかったような悪夢的な陥穽。あのつよく美しい少女は、いま、永遠に物語から去っていった。舞姫はついに舞うことを止めたのだ。

 しかし、それでもなお物語はつづく。姉がいなくなっても、妹は踊りつづける。いままで知らなかった人生の深いかなしみが、彼女のバレエを変えていく。

 もう、あのかよわい泣き虫の少女はいない。笑われても、あざけられても、踊らなければならないのだ。彼女の姉がさいごの瞬間までそうしたように。

 もはや彼女はひとりではない。眠っていたその才能が、いま、目ざめる。

 そして、物語は第二部へとつづいていく。作者はこの先のこされた少女にいかなる展開を用意しているのだろうか。一旦物語から去ったものたちの再登場はあるのだろうか。いま、これほどに先の展開が待ち遠しい作品はほかにない。

 鬼才山岸涼子、あらたなる代表作の誕生である。