幻視家タニス・リー

 ある夜、闇の公子のひとりである妖魔の王アズュラーンは、興に任せて大いなる黒鷲の姿をとった。巨大な翼を羽搏いて東へ西へと飛翔した。北へ南へ、世界の四隅へ。その頃、世界は平らかで、混沌の海に浮かんでいたのだ。

――『闇の公子』

 来たる四月、タニス・リーのSF長編『銀色の恋人』が復刊するらしい。まずはめでたい。

 リーは現代最高の幻視作家であり、神に選ばれた「語り部」である。その想像力はたやすく時代を超越し、「地球が平らかなりし頃」へと飛ぶ。

 同じ頃、はるかに凡庸な作家たちが、光と闇のたたかいだの、遍歴の勇者だのを描いていたのに対し、リーは遥かに昏く妖しい物語を、彼女一流の皮肉と諧謔をこめて語った。

 『銀色の恋人』そのものはセンチメンタルな恋愛物語であるが、やはり、彼女の本領は妖美な幻想小説にあると思う。

 たとえば『死の王』は、両性具有の美青年シミュと、不死身の魔術師ジレクの愛とたたかいを、闇の公子と死の王のかけ引きを絡めて綴った大長編。その途方もない想像力に圧倒された。

 全編の主人公はシミュなのだが、その母親であるメルの女王ナラセンが鮮烈に印象にのこっている。

 誇り高いレズビアンの女王で、その褥にはべるものは選ばれた美少女のみ。しかし、彼女の愛するメルの国は、あるとき忌まわしい呪いをかけられ、不毛の国と化していく。

 その呪いをとく術はただひとつ、ナラセンそのひとが子を身ごもること。

 彼女は愛する国のために、ありとあらゆる男にその身を任せてまわる。最高の貴族から、最低の乞食まで、あいてを選ばず。

 美しい少女以外の手が触れることのなかったその肌を、汚らしい男たちが汚して行く。

 それでもなお、彼女の誇りはいささかも傷つくことはない。ナラセンにとってそれは愛の営みと呼ぶには足らぬこと、女王の責務を果たしているに過ぎぬのだ。

 しかし、不毛の呪いのため、それでもなお、ナラセンが身ごもることはなかった。うるわしのメルは瞬く間に死に犯されていき、女王は國民から石を投げられる。

 そこで遂にナラセンは死者と交わって子を成すことを考える。そうして生まれたのが両性具有の子、シミュ。そこからようやく物語は始まるのである。

 結局、彼女はシミュを産んだあと産褥の褥に倒れるのだが、このお母さん、死んでからあともあたりまえのように物語に登場する。

 それどころか、その恐るべき能力を用い、死の国を支配しはじめるのである。

 そこから先の死と不死と巡る物語を語り尽くす紙幅はないが、とにかく凡百の物語作家の想像の及ばぬ境地に達していることは間違いない。

 その壮絶さたるや、比べてみれば、古川日出男の『アラビアの夜の種族』ですら、いささか色褪せて見えるほど。

 リーもまた、不世出の天才作家と言って良いだろう。

 問題はその『死の王』を含む代表作の数かずが、品切れのまま入手できないこと。ムアコックを復刊するのなら、リーも何とかしてもらいたいな。

銀色の恋人 (ハヤカワ文庫SF 725)

銀色の恋人 (ハヤカワ文庫SF 725)

闇の公子 (ハヤカワ文庫 FT 45)

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死の王 (ハヤカワ文庫FT)

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