「キモイ」「ウザイ」は王様病の症状。

女同士で手繋いでたり、抱き合ったりしてるのが非常に気持ち悪い。

カワイイ子同士でも目の保養と気持ち悪さが相殺されてぎりぎり許容できるのに、普通なコとか不細工なコとかがやってるともう耐えられない。

まだ公共機関でいちゃこいてるカップルの方がまし。

見なきゃいいっていう意見もあるかと思うが、特に不細工な人たちはところかまわずやるもんだから(当社比)。目に入る。目に余る。

一度自分たちを客観的に見て欲しい。 

 「はてな匿名ダイアリー」より。

 いろいろといじり甲斐のある記事だと思いますが、まあ、この記事そのものはどうでもいい。

 それより、こういう記事を読んでぼくが思うのは、「「キモイ」ってどういう意味なんだろう? どうしてこんな言葉を使うんだろう?」ということです。

 昔から思っていたことだけれど、これ、実はかなり意味不明な言葉なのではないでしょうか。あいてを非難していることは間違いないんだけれど、その実、何をいいたいのかわからない。

 同じようにあいてを非難、あるいは罵倒する語句にしても、「バカ!」とか「ケチ!」とか「デブ!」といった言葉は、あいての状態をあらわすものです。

 つまり、「バカ!」とは、「お前は愚かだ!」という意味だし、「ケチ!」とは、「お前は吝嗇だ!」という意味だと思われます。その正当性はともかく、あいての状態に対する非難として成り立っている。

 ところが、「キモイ!」という言葉は、「私は気持ちが悪い」ということしかあらわしていない。主語が「私」なんですね。

 じっさい、上記の記事でも、「女同士で手繋いでたり、抱き合ったりしてるのが非常に気持ち悪い」と書かれています。

 ここでぼくは疑問に思うわけです。

 なるほど、きみが気持ち悪いということはわかった。だから何? きみが気持ち悪いと思ったら、周囲は改善するよう努力しなければならないの? それって何様? この世界はきみのものなのか?

 上の記事でいえば、書き手は女性同士のボディタッチを気持ち悪いと感じている。それ自体はこのひとのかってです。

 でも、あたりまえだけれど、その女性たちはこのひとを喜ばせるために手をつないでいるわけではない。世界はこのひとのためにあるわけではない。

 この文章の末尾では、「一度自分たちを客観的に見て欲しい」と書かれている。

 しかし、客観とは、このひとの価値観のことなのでしょうか? むしろ主観と客観の区別がついていないのはこのひとなのでは?

 結局、何かというと「キモイ」「ウザイ」と言って済ますひとは、世界のすべてが自分にとって心地よい形であって当然だ、そうでないものはそのように変わるべきだ、と信じて疑わない「王様病」なのではないか? と、ぼくは思うのですが、いかがなものでしょうか。