どうも誤解されているのではないかという気がするので、付けたし。

 つまりこういうことだ。たとえば、ここにある作品があるとする。そしてその作品を読んで、ひどく下らない内容だと思ったとする。しかし、その作品には熱心なファンがいるとする。

 そのとき、ただ一方的にこんなものは下らない、こんなもので満足している奴らはばかだ、と断定してしまうことはたやすい(エロゲなんてやっていないで文学読め、とか)。

 しかし、あまりに一方的な言い草であり、どこか独善の匂いがただよう(Amazonのレビューにはこういう感想が多い気がする)。

 それでは、その反対に、「絶対的なよしあしなどない、すべては価値観の違いによるのだ」と言って、よしあしを語ることを放棄してしまったらどうだろう?

 一見すると正論のようだが、これではなかなか深いコミュニケーションは生じない。何となく煮えきられない印象である。

 ぼくが欲しているのは、そのどちらでもない、中庸の「ことば」だ。

 ぼくは、ある作品を取り上げて、ここが良い、あそこが悪い、と語ることは、その作品への理解を深めるために必要なことだと思う。

 すべての価値観は相対的であるにせよ、むしろそうであるからこそ、ひとつの価値観を提示することによって話しあいの土台を作る作業は必要なのではないか*1

 しかし、同時にその価値観に隷属しきってもならない。ようするに押し付けあうだけでもなく、孤立しあうだけでもない方法論が必要だと思うのだ。

 ま、言うだけなら楽なんですけどね。

*1:でも、ブログはこういうコミュニケーションには向かないかも。どうしてもそのブロガーの意見が特権化してしまうからね。ぼくはむかしから往復書簡がやりたいと言っているんだけれど、つきあってくれるあいてが見つからないんだよなあ。